最近よく思うことがあります。
様々な社会問題に対して盛大に騒いでいる人は、雰囲気に流されている人が多いなぁ~ということ。
マスコミの伝える情報には、それ単体だと事実誤認や曲解を招きかねないものが実に多くあります。
マスコミの報道では出てこない別の情報を知ることで、報道されているのとは違った側面からもその事実を見つめることが出来るものです。
例えば、↓の見出しや記事を見ただけだと、
秋田県民がすぐ自殺するとか秋田県は住みにくい所だとかいうような印象を受けるかもしれません。
「秋田 自殺率16年連続ワースト」 http://yj.pn/5ccrWX #yjfc_suicide
でも実際、単純に自殺者の人数で考えると、最も多いのは東京都です。
秋田県の自殺者数は2009年時点で全国27位。平均レベルです。
あまり知られていないことだけど、自殺者というのは、各都道府県で発見された遺体の数で計上されます。
だから、全国から自殺志願者の集まる青木ヶ原樹海や白神山地では、県外から来た自殺者の遺体が山梨・秋田の自殺者数を増やしてしまうわけですね。
そもそも、自殺への抵抗感は生まれ育った環境によって差がつきます。
一般的に、身内に自殺者のいる人は自殺しやすい傾向にあると言われます。
したがって、昔から自殺が多く地域の人付き合いが濃い地域などでは、どうしても自殺への親和性が高くなってしまうのです。
そういった背景も知っていると、同じニュース記事でも少し違った見方ができるのではないかと思います。
で、これと同じことは他の事象についても言えるわけです。
例えば、政府が学校での子供の年間被ばく限度を20mSvに引き上げた件。
「20mSvは有り得ない、平時の1mSvに戻せ!」と騒いでいる人達もいますが、なぜ20mSvでは駄目で1mSvならいいのでしょう。
20mSvというのは、ICRP(国際放射線防護委員会)の出した、
「緊急時の年間被ばく量は多くても20mSv~100mSvの範囲にすべき」
「復旧期の年間被ばく量は1mSv~20mSvの範囲で極力低い値にすべき」
という基準に基づくものです。
放射線は100mSvを越えなければ「人体への影響は確認できない」。
つまり、100mSvまでの被ばく量では、放射線の影響が出るとは(現在の医科学では)言えない、ということ。
勿論影響がゼロとは言い切れないし、あくまでこれは大人の場合の基準値なので、放射線被ばくは出来る限り避けるのが賢明なのは言うまでもありません。
もし年間1mSv被ばく(自然被ばくを除く)した場合、1万人に1人ががんになり、そのがんの半分が致死的である、という研究があります。
2万人に1人ががんで死ぬ、と考えたほうが分かりやすいかな。
この基準に基づいて医学への放射線利用と比較してみると、全身のCT検査を受けた場合、1000人に1人ががんになることになります。
また、震災以来ずっと公表され続けている各地の放射線の測定値について。
原発に近い浜通りいわき市よりも、中通りの福島市・郡山市・白河市のほうが高い値を出しています。
これは、放射線量測定機器の設置場所に明確な基準がないことが原因です。
じゃあ、実際にガイガーカウンタを持ち歩いて放射線を測るとどうなるのか。
少し歩いたり、地面に近づけたり離したりするだけで、値はコロコロ変わります。
しかも、放射能(放射性物質が放射線を出す能力)は時間と共に減少するので、放射線の測定は継続的・定期的に随所で行う必要があります。
したがって、実用的なレベルの放射線マップを数値によって作成することは非常に難しいのが実状です。
実際に測定してみて、ここは比較的値が高い、ここは低い、という認識を持つのは無駄ではないでしょう。
けれど、子供達自身の日々の過ごし方から注意しなければ、年間被ばく限度の値が減少しても意味がないわけです。
そもそも、放射線被ばくによる健康被害のリスク(健康被害そのものではなくその発症リスク)をどこまで甘受するかという基準は、人によって様々です。
「私は年間1mSvだって被ばくしたくない」という人もいれば、「生活に極端な制限を強いられるくらいなら、健康被害への多少のリスク増は仕方ない」という人もいます。
どれが正しくてどれが間違っているとも言い切れない。
この多様な価値観を持った人が混在する社会で、一律の基準を定めることを求められているのが、国であり政府です。
全員の要求を満たすことが不可能な以上、ある程度根拠のある研究結果を基にどこかで線引きをして、即実的な基準を作るしかない。
その線引きが、今回は年間20mSvの被ばく限度だったのです。
大人の基準値をそのまま子供に適用しているという側面だけ見ると有り得ない数値のように思われるけれど、違う切り口から見てみるとそれなりの理由や根拠があるのです。
「え、秋田の人ってそんなに自殺してるんだ…」って思い込む前に。
「20mSvに引き上げだって!?子供達が死んでしまう!許せん!」と騒ぐ前に。
調べて、知って、考えたでしょうか。
マスコミの報道は、事物のごく一部を切り取ったものに過ぎません。
いちいち懇切丁寧に一から十まで説明してはくれません。
そればかりか、意図的に偏った報道をしていることも多々あります。
視聴者の心を掴むために否定的な意見を強調して伝えるのは、マスコミの得意技です。
例えば、報道番組でテロップの一部だけフォントや色が変わっていたり、同じことを何度も放送している場合は要注意です!
本来、事実を報道するだけのニュースで強調表現を使う必要はありませんからね。
強調されている箇所には自然と目がいくし印象にも残りやすいので、あたかもそれが正しいことであるかのように錯覚してしまうのです。
何かを非難するということも同様で、肯定的な意見よりは否定的な意見の方が信頼されやすい傾向があります。
否定的な意見ばかりが正しいとは限りません。
自分の身を守りたかったら、雰囲気に呑まれないで本質を見る目を持つことです。
小学生の頃、全校朝礼で校長先生がこんなことを仰いました。
「最後に頼りになるのは自分自身です。自分の身は自分で守りましょう。」
当時は教育者らしからぬ発言だと思っていましたが、今となるとその真意がわかります。
校長先生はその後にこうも仰っていました。
「いざという時自分を守れるように、勉強も運動も頑張りましょう」
周囲の雰囲気に流されて他人の話を鵜呑みにしていたのでは、自分の身は守れません。
情報を選別し正しい判断の糧とするための知力。
迫り来る具体的な危険を避けるための体力。
確かにどちらも自分の身を守るために必要な力です。
こんな時代だからこそ、自分で判断し行動する力をつけて、自分の身を守っていかなくてはならない。
校長先生の教えの通りだなぁと思います。
他人の話を全て鵜呑みにしたり、思い込んだりするのは危険です。
根拠のある話を疑うことより、根拠のない話をあてにする方が危険です。
雰囲気に流されるのは楽だけれど、本当に我が身が可愛いのなら、自ら知り考えようとする手間は惜しまないほうが良いのではないでしょうか。
そんなことを思う、今日この頃なのです。
様々な社会問題に対して盛大に騒いでいる人は、雰囲気に流されている人が多いなぁ~ということ。
マスコミの伝える情報には、それ単体だと事実誤認や曲解を招きかねないものが実に多くあります。
マスコミの報道では出てこない別の情報を知ることで、報道されているのとは違った側面からもその事実を見つめることが出来るものです。
例えば、↓の見出しや記事を見ただけだと、
秋田県民がすぐ自殺するとか秋田県は住みにくい所だとかいうような印象を受けるかもしれません。
「秋田 自殺率16年連続ワースト」 http://yj.pn/5ccrWX #yjfc_suicide
でも実際、単純に自殺者の人数で考えると、最も多いのは東京都です。
秋田県の自殺者数は2009年時点で全国27位。平均レベルです。
あまり知られていないことだけど、自殺者というのは、各都道府県で発見された遺体の数で計上されます。
だから、全国から自殺志願者の集まる青木ヶ原樹海や白神山地では、県外から来た自殺者の遺体が山梨・秋田の自殺者数を増やしてしまうわけですね。
そもそも、自殺への抵抗感は生まれ育った環境によって差がつきます。
一般的に、身内に自殺者のいる人は自殺しやすい傾向にあると言われます。
したがって、昔から自殺が多く地域の人付き合いが濃い地域などでは、どうしても自殺への親和性が高くなってしまうのです。
そういった背景も知っていると、同じニュース記事でも少し違った見方ができるのではないかと思います。
で、これと同じことは他の事象についても言えるわけです。
例えば、政府が学校での子供の年間被ばく限度を20mSvに引き上げた件。
「20mSvは有り得ない、平時の1mSvに戻せ!」と騒いでいる人達もいますが、なぜ20mSvでは駄目で1mSvならいいのでしょう。
20mSvというのは、ICRP(国際放射線防護委員会)の出した、
「緊急時の年間被ばく量は多くても20mSv~100mSvの範囲にすべき」
「復旧期の年間被ばく量は1mSv~20mSvの範囲で極力低い値にすべき」
という基準に基づくものです。
放射線は100mSvを越えなければ「人体への影響は確認できない」。
つまり、100mSvまでの被ばく量では、放射線の影響が出るとは(現在の医科学では)言えない、ということ。
勿論影響がゼロとは言い切れないし、あくまでこれは大人の場合の基準値なので、放射線被ばくは出来る限り避けるのが賢明なのは言うまでもありません。
もし年間1mSv被ばく(自然被ばくを除く)した場合、1万人に1人ががんになり、そのがんの半分が致死的である、という研究があります。
2万人に1人ががんで死ぬ、と考えたほうが分かりやすいかな。
この基準に基づいて医学への放射線利用と比較してみると、全身のCT検査を受けた場合、1000人に1人ががんになることになります。
また、震災以来ずっと公表され続けている各地の放射線の測定値について。
原発に近い浜通りいわき市よりも、中通りの福島市・郡山市・白河市のほうが高い値を出しています。
これは、放射線量測定機器の設置場所に明確な基準がないことが原因です。
じゃあ、実際にガイガーカウンタを持ち歩いて放射線を測るとどうなるのか。
少し歩いたり、地面に近づけたり離したりするだけで、値はコロコロ変わります。
しかも、放射能(放射性物質が放射線を出す能力)は時間と共に減少するので、放射線の測定は継続的・定期的に随所で行う必要があります。
したがって、実用的なレベルの放射線マップを数値によって作成することは非常に難しいのが実状です。
実際に測定してみて、ここは比較的値が高い、ここは低い、という認識を持つのは無駄ではないでしょう。
けれど、子供達自身の日々の過ごし方から注意しなければ、年間被ばく限度の値が減少しても意味がないわけです。
そもそも、放射線被ばくによる健康被害のリスク(健康被害そのものではなくその発症リスク)をどこまで甘受するかという基準は、人によって様々です。
「私は年間1mSvだって被ばくしたくない」という人もいれば、「生活に極端な制限を強いられるくらいなら、健康被害への多少のリスク増は仕方ない」という人もいます。
どれが正しくてどれが間違っているとも言い切れない。
この多様な価値観を持った人が混在する社会で、一律の基準を定めることを求められているのが、国であり政府です。
全員の要求を満たすことが不可能な以上、ある程度根拠のある研究結果を基にどこかで線引きをして、即実的な基準を作るしかない。
その線引きが、今回は年間20mSvの被ばく限度だったのです。
大人の基準値をそのまま子供に適用しているという側面だけ見ると有り得ない数値のように思われるけれど、違う切り口から見てみるとそれなりの理由や根拠があるのです。
「え、秋田の人ってそんなに自殺してるんだ…」って思い込む前に。
「20mSvに引き上げだって!?子供達が死んでしまう!許せん!」と騒ぐ前に。
調べて、知って、考えたでしょうか。
マスコミの報道は、事物のごく一部を切り取ったものに過ぎません。
いちいち懇切丁寧に一から十まで説明してはくれません。
そればかりか、意図的に偏った報道をしていることも多々あります。
視聴者の心を掴むために否定的な意見を強調して伝えるのは、マスコミの得意技です。
例えば、報道番組でテロップの一部だけフォントや色が変わっていたり、同じことを何度も放送している場合は要注意です!
本来、事実を報道するだけのニュースで強調表現を使う必要はありませんからね。
強調されている箇所には自然と目がいくし印象にも残りやすいので、あたかもそれが正しいことであるかのように錯覚してしまうのです。
何かを非難するということも同様で、肯定的な意見よりは否定的な意見の方が信頼されやすい傾向があります。
否定的な意見ばかりが正しいとは限りません。
自分の身を守りたかったら、雰囲気に呑まれないで本質を見る目を持つことです。
小学生の頃、全校朝礼で校長先生がこんなことを仰いました。
「最後に頼りになるのは自分自身です。自分の身は自分で守りましょう。」
当時は教育者らしからぬ発言だと思っていましたが、今となるとその真意がわかります。
校長先生はその後にこうも仰っていました。
「いざという時自分を守れるように、勉強も運動も頑張りましょう」
周囲の雰囲気に流されて他人の話を鵜呑みにしていたのでは、自分の身は守れません。
情報を選別し正しい判断の糧とするための知力。
迫り来る具体的な危険を避けるための体力。
確かにどちらも自分の身を守るために必要な力です。
こんな時代だからこそ、自分で判断し行動する力をつけて、自分の身を守っていかなくてはならない。
校長先生の教えの通りだなぁと思います。
他人の話を全て鵜呑みにしたり、思い込んだりするのは危険です。
根拠のある話を疑うことより、根拠のない話をあてにする方が危険です。
雰囲気に流されるのは楽だけれど、本当に我が身が可愛いのなら、自ら知り考えようとする手間は惜しまないほうが良いのではないでしょうか。
そんなことを思う、今日この頃なのです。