昨日、母から、母の姉の話を聞きました。


7つ上で毎日お風呂も寝るのも
双子のように一緒。
27歳で旅立ち、
あの時私も死にたいとお墓で泣いた。
と、子どもの時から、
聞いていたので知ってはいましたが。


写真右が母で、左側が叔母です。





最近枕元に、お姉さんがくるそうで、
この話だけは私にしか言えないと、
胸に留めておいたことを話してくれました。


母の実家は大きく商売をしており、
ばあやに育てられお手伝いさんも大勢いるお家。
箱入りのお嬢様だったそうで、
戦後の貧しい時代も何不自由なく
苦労せず育った。


「それがいいんだか、悪いんだかだよね、、、」
と私が言うと

「よくなかったんだよね」と。

「でもお母さん、よくサラリーマンで
 実家を離れて子ども育てたね、」と言うと

「何度も実家に息子(私の兄)をつれて戻った」
実際半年は帰らなかったりした、と。


そっか、そのまま実家にいたら
私は生まれてないんだよねー、、、
いつも沢山の人の中で生きてきたのに、
知らない土地で専業主婦で
本当に寂しく心細かった、と。


お姉さんの話も、あの世から見ていて
きっと思い出してほしいのではないかと、

そしていつも私たちを守ってくれている
御先祖様
安心していいんだよ、
と言ってくださっているようで。。。


母は自分の嬉しかったこと
悲しかったことを、
いつも語ってくれるので、
私も情緒豊かに育ったんだろうな。
また娘達に語り継ぐ話。



私にとっては母だけれど、
溺愛されたお嬢様で
娘で、悲しいことも辛いことも、
勿論うれしいこともたくさんあって
自分の人生を生きてきたんだなぁ

人が生きてきたこと、生きていることって
すごいことですね。



今日の話を聞いて娘が
不登校になった告げた時
理由も状況も聞かずに
「せっちゃんが大変だね」と
伝えてくれたのは
母の体験があったからこそなんだな。




月の砂漠♬を
よく2人で歌っていたそうです



月の砂漠を はるばると
旅のらくだが ゆきました
金と銀との くらおいて
二つならんで ゆきました



亡くなった時
その時の父(私の祖父)の
友人である詩人、白取省吾さん
が読んでくださった歌。






叔母さん、みんなのことずっと

見守っていてくれて

ありがとう。

毎日楽しく生きてるよ💕