職場(高齢者施設)で、関わっているある女性。
高齢者施設に不釣り合いと感じるほど 若い。
線が細く、きれいな人。
おとなしくて、繊細。
でも、それなりに日常生活に対応できない所があって
施設におられる。
ちょっとした作業をお願いすると、
一つひとつ とても丁寧。
そんな彼女に、時折感じる”不快”
この”不快”を感じると、私の語気は少し強くなる。
これがまた ”不快”
で、自分に問いかけてみた。
「なんで、私は この女性を創り出したんだろう?」
思いが浮かんでこなかったので、
更に、こんな風に問いかけてみた。
「私は、彼女をどのように見ているんだろう?」
・淋しがりや
・一人になることをとても怖がっている
・情緒が不安定
・常に 怯えていて、緊張している
・目覚めているときは、安全を殆ど感じられていない
・現実を理解できないでいる
・・・・・
「じゃあ、そんな彼女を見ていて 何を感じてる?」
苦しそう。
悲しそう。
緊張を和らげたい。
どうにかしてあげたい。
助けたい。
「そんな風に思っている私は、何に不快に感じる?」
その時感じている不安を、
彼女は、「どうしたらいい?」という形で
助けを求めてくるけれど、
それに対するこちらの答えを、受けとってくれなのが不快。
あわせて、その時の不安を、その時だけでも忘れられさせて
あげきれないことが 不快。
無能な自分を認めざるをえないから・・・
そうか!そうか!
受け取ってもらえなくて、悲しかったね。
自分の無能さをさらされて、辛かったね。
うん、うん・・・・・
”不快”という痛みに 寄り添う。
そんなことをしてると、
彼女を見て
私が勝手に
「彼女は淋しがっている。
緊張している。
怖がっている。
苦しんでいる。」
と決めつけていて、
勝手に 助けてあげなきゃと思っている?、のでは?・・・
そもそも、
彼女は 本当に
苦しいのかなぁ?
怖いのかなぁ?
淋しいのかなぁ?
助けられたいのかなぁ?
助けたい彼女は、存在するのかなぁ?
それに、
助けられない自分は、”無能”と自分を裁いているけど、本当?
まぁ いいか!
”不快”をよく見たら どうでもよくなってきた。
さっ、美味しいジュース飲みながら
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