プロ野球選手の中で自分が一番好きな選手は、スンヨンを推す感覚とはまた全く違うのですが…プロ野球選手の中での推しの選手は、もう引退しましたが千葉ロッテマリーンズに所属していたピッチャー渡辺俊介です。



サブマリン(潜水艦)と呼ばれたアンダースローのピッチャーで、ピッチングフォームがとてつもなくカッコ良かったです。



アンダースローの投手はもともと少ないのですが、その中でもボールをリリースするポイントが一段と低く、地上3センチの地面すれすれからボールを投げるので『史上最低のピッチャー』とも言われていました。



私にとっては史上最低で史上最高のピッチャーです。






プロ野球は好きでよく観ていたのですが、シドニーオリンピックの時に新日鉄君津所属だった渡辺俊介を初めて知って「何だこのピッチャーは!」と衝撃を受けました。



他のピッチャーにはない独特のリリースポイントと、ストレートの速さは120~130キロ前半ですが、それより更に遅いボールを投げて緩急をつけたり、足のステップの幅を変えてタイミングをずらしたり、指の幅やリリースのタイミング、指をかける位置などを細かく調整して様々な種類のカーブを投げるピッチャーでした。



ツーシームジャイロとフォーシームジャイロと呼ばれるボールも投げていました。



150キロを超える速球を簡単に打ち返すバッターが、130キロにも満たないボールに空振りしたりするのは面白かったです



速球を投げ込む本格派のピッチャーも好きですが、遥かに上回るカッコよさでした。



日本ハムファイターズにいた当時の新庄剛志は渡辺俊介との対戦が苦手で、渡辺俊介が先発の時はスタメンを外してほしいとお願いしていたそうです。



プロ野球には高校時代はエースで4番!とか身体能力抜群!!という選手もたくさんいますが、渡辺俊介は全くそういうタイプではなく、足も遅かったそうです。
国学院栃木高校時代は、同級生である後に西武ライオンズに入団して新人王になるエースで4番の小関竜也の陰に完全に隠れた存在だったそうです。



オーバースローでは通用しなくてアンダースローに変更したり、アンダースローでも打たれて投げ方を修正したり、プロに入ってからもクビ寸前になったこともありましたが、色々な工夫をしながら生き残ったピッチャーでした。



渡辺俊介は栃木県出身なのですが、私も栃木県に住んでいたことがあるので「地元選手」として親近感があって応援していました。



私はチームとしては地元の東北楽天ゴールデンイーグルスを応援しているのですが、楽天のチーム創設初年度、2005年のロッテとの開幕カード第2戦、0-26という歴史的な大敗を喫した時に相手チームのロッテで投げていたのが渡辺俊介でした(1安打完封)。



色々複雑な思いで観ていたのを今もよく覚えています…。楽天に一番最初に黒星を付けたピッチャーが渡辺俊介だったということを忘れることはないと思います。



千葉ロッテマリーンズにドラフト4位で指名されてプロ入りした渡辺俊介ファンになった私は、野球カードを集め始めました。正確には数えてないのですけど、多分100枚以上あると思います。
引退後もカードは発行されたりしているのですが、それはさすがに集められていないのですけど…。



2005年にベーボール・マガジン社が出している『BBM2005  2ndバージョン』というシリーズのプロ野球カードを一箱買ったのですが、渡辺俊介の直筆サインカードが出ました。めちゃくちゃ嬉しかったです。







KARAスンヨンの直筆サインカードと共に、お宝…おたKARAです。
(無理矢理KARAの話題を絡めます)



アメブロのハンドルネーム(?)を考えた時に特に何も思い付かなかったので、スンヨンの「スン」と渡辺俊介の「介」を安易にくっ付けたのが私の『スンすけ』という名前です…。



渡辺俊介について語り出すと終わらなくなってしまうので、このへんで…。