【第3569回】





國井裁判長は「(被告)2人の仕事は、

(本来)子どもの未来を担う素晴らしい仕事、

それだけに人の命を預かる責任は重い。

千奈ちゃんが生まれた意味として、

両親を不幸にするために生まれてきたわけではなく、

幸せにするために生まれてきた。

そして、そのうえで、今回のような事件の

教訓になるために生まれてきたわけでもない」と

時折、声を詰まらせながら、説論しました。



(裁判長が声詰まらせ説諭

「千奈ちゃんは事件の教訓になるために

 生まれてきたわけではない」通園バス置き去り死事件で

 元理事長に禁錮1年4か月の実刑判決=静岡地裁

 https://news.yahoo.co.jp/articles/2ab6d158563c4b0705a85cbdb408f7500a2e7029

 7/4(木)  ヤフーニュース)



当時、僕の娘と

同い年の子だったので


ゾッとしたことを

覚えていますが


僕としては

教訓にせざるを得ない

事件だったと思います。


例えば、今回の事件が

大々的に報道されなければ


急に、「子どもがバスに

閉じ込められるかも」

と言い出したところで


「考えすぎだよ」


と言われるに

決まっているからです。


つまり、僕を含め

 

 

意にも介さず放置した

世間全体の責任だ

ということができるわけで、


想像力の問題にもなります。


僕などは、想像力たくましいので


あらゆる事象において

リスクを見出し、対策を

考える癖がついていますが


そういう目線の人間からすると


危険を軽視して暮らしているのが

一般なのです。


なにも神経症や強迫症に

なることを勧めるのではなく、


人生の目的、そのために

引き受けるリスク、

避けるべきリスクを


考えておくのが大人だ、

という意味になります。





現代は、

人の幸福など一切省みず、


経済合理性という枠の中に


人間を押し込めることしか

考えないものです。


これこそ強迫症そのもので


リスクを合理的に処理すれば

あとは「事故」だとして


思考を停止します。


「生き方」の問題などと

思いも及びません。


個人的な意見として

ご参考まで。