世見
2023年4月10日(月曜日)
松尾山城
冬の間、日本で過ごした雁が北へ帰って行く頃になりましたが、雁は日本をどの様に思って冬を過ごすのでしょうか。
過ごしやすいからだと私は信じたいのですが、この日本も昔とは環境が変わりましたからね。
最近は、あの燕も見掛けなくなったので心配しています。
私達は環境の変化をどの様に受け止めているのでしょうか。
私が暮らす駅周辺は、この数年、都市計画により大きく様変わりをしますが、人口減少で街並みが大きく変わるところもあることでしょうね。
大型ショッピングモールが姿を消すところも出て来たりして、これからの十年で日本は大きく変わることでしょう。
私ね、毎日のようにこうして原稿を書いていると、漢字って誰が作ったのか、凄いなぁと思うことがよくあります。
人に良いと書くと「食」という字が出来たりしてね。
草が化けたら「花」になり‥‥と漢字って面白いです。
「日」が入っている字って幾つあるのかご存じですか?
今日はこれが宿題です。
あなたはお城が好きですか?
では、松尾山城をご存じですか?
関ヶ原合戦において小早川秀秋の陣となった松尾山。この松尾山からは関ヶ原を眺望することが出来ました。
この松尾山の頂上には、完成城部遺構が残されているのです。
でもね、小早川秀秋が築いたとは思えないのです。
では一体誰が‥‥。
↑↑
「応永年間に富島氏によって築かれたとされています。戦国期に入ってからは、織田氏との関係が悪化した浅井氏が、樋口氏に命じ松尾山を占拠させ砦を築きましたが、樋口氏は織田方の竹中半兵衛の調略により、織田氏に降り織田氏家臣の不破氏が守備したとされています。
関ヶ原の合戦で、廃城となっていた、松尾山城を石田三成公の要請を受けて伊藤氏が修築し布陣しましたが、小早川秀秋公によって追い払われ、小早川勢が松尾山に陣を布陣したのは周知のとおりです。」
関ヶ原の合戦で、廃城となっていた、松尾山城を石田三成公の要請を受けて伊藤氏が修築し布陣しましたが、小早川秀秋公によって追い払われ、小早川勢が松尾山に陣を布陣したのは周知のとおりです。」
西美濃の山城では最大の規模だといいます。
城とはどの様な場所だったのでしょうか。
武将達の力を見せ付ける献上物だけだったのでしょうか。
あなたは松尾山城をご存じでしたか?
松尾山城は293.1mの松尾山の頂上に築かれていました。
それほど高い山では思いませんが、その規模は東西約400m、南北300mに亘って城部施設を構えていたと言いますからね。