世見
2022年7月31日(日)
伏見地震
私も、思い出すだけで体が固まるのが阪神淡路大地震ですが、あの時の揺れより大きかった地震が京阪神地域を襲った地震です。
時の太閤、豊臣秀吉が築いたばかりの伏見城も倒壊してしまったといいます。
豊臣秀吉は大きな地震を2度も体験しているのです。
最初は中部から近畿東部を襲った天正地震。
この時は帰雲城(白川城)が土石流に埋もれてしまったといいます。
秀吉はこの時、坂本城にいたといいます。
秀吉はよほど恐ろしかったのか、一目散に大阪へ逃げ帰ったと伝えられています。
2回目が、築いたばかりの伏見城。
城にいた秀吉は、揺れると同時に大庭に飛び出し、怯えながら屏風(びょうぶ)で囲い、白砂の上に敷物を広げ震えていたと伝えられています。
この時の地震で、京都は大きな被害を被ったといいます。
特に、山崎八幡付近は壊滅状態だったと言われています。
大阪や堺でも多数の死者が出ました。
私の思い出 多い神戸市須磨区にある須磨寺でも、本堂、三重塔、仁王門が倒壊し、敦盛石塔は浜まで転がったと『当山歴代』に記されています。
「伏見地震」と名付けられた大地震です。
阪神淡路大地震(1995年1月17日)から時は流れましたが、京都から淡路島に至る区間には、大小の活断層が細長く連なっていると言われています。
「有馬―高槻」「六甲活断層」の活動の履歴を、もう一度把握してみる時期のようにも思います。
伏見地震までは行かないかもしれませんが、気を付けていてもいいようにも思います。
京都周辺が揺れると、とても心配になります。日本の心のような寺院や神社がありますから。
秀吉も恐がった大地震、秀吉も人の子だったのですね。
それも2回も体験しているのですよね。