世見
2020年7月3日(金)
全国人口調査は当時世界的にも画期的なことでした。
徳川吉宗は全国の藩や直轄領に命じて領内の人口調査を行った結果2606万人と云う数字を知ることが出来たのですが、この数字には武士は含まれず登録にない者もいたと思われるので300万人から350万人を2606万人に加えた数字が吉宗時代の日本の人口だったと思われます。
八代将軍徳川吉宗がこのことを実施したのが1721年、今から299年前のことです。
300年程で日本の人口はご存知の数字になりましたが江戸時代と現在とでは生活風景も随分と違いますが、圧倒的に男性比率の方が高かった故に恋愛の主導権は女性が握っていたようです。
男性は意中の女性に「付け文」 今で言うラブレターを送り、返事が来るのをひたすら待っていたといいます。
デートの誘いも女性からが主流だったというのですから「幼にして父兄に従い嫁して夫に従い、老いては子に従う」の女性の世界観は意外と違わなかったようです。
「それじゃ 今と変わらない」と思われた方もいたかもしれません。
ただね。当時の女性は頻繁に外に出掛ける生活を送っていなかったために男女の出会いの場は大変少なかったみたいですよ。
江戸時代のナンパの方法が実に面白いのです。
人込みで見染めた女性があるとその女性のお尻を抓ったのですって今では考えられません。
男性は女性のその時の反応で気があるかどうかを判断したそうです。
人違いで抓ってしまい相手に気に入られたらどうしたのでしょう。(笑)
日本は戦前まで7割以上がお見合いだったと言われますが「恋愛結婚」が多くなったのはいつ頃からなのでしょうか。