松原照子世見
2020年4月15日(水)


法隆寺  

聖徳太子が建てたと伝えられている法隆寺ですが、聖徳太子はどのような思いの設計をして建てさせたのでしょう。
誰々が建てたとは言われるのですが、立派な建造物を誰が設計・施工し、そして誰が飾り付けをしたのかを知りたくなります。
法隆寺は奈良市の南西、斑鳩町にある大きなお寺です。
  柿食えば
  鐘が鳴るなり
  法隆寺
正岡子規が俳句に詠んでいるように、昔から斑鳩の里では法隆寺の鐘の音が時を告げていました。
悠久の古寺、法隆寺。別名 斑鳩寺。
法隆寺の食堂や五重塔、中門それと回廊は、火災や戦乱で焼失することもなく、飛鳥時代の姿を保っていますが、今建っている法隆寺は後に建て直されたものなのです。
昭和になって法隆寺を修繕していたら、法隆寺と同じ場所に古いお寺が見付かりました。このお寺を若草伽藍と呼んでいます。
若草伽藍がどんな事情でなくなったのかはわかりませんが、七世紀後半から八世紀の奈良時代に今の法隆寺が建てられたと言われているので、本当に聖徳太子が建てたかどうかというのは凄く疑問です。
だぁってね。聖徳太子って七世紀の初めに亡くなっていると言われているでしょう。
法隆寺の金堂のご本尊、釈迦如来像の光背には、「聖徳太子の死後 遺族が太子の死を悲しみ造られた」と、文章が残っているそうですよ。
だからね。法隆寺は聖徳太子が“建てた”のではなく、“建てたと伝えられている”と言っているのですよね。
世界最古の木造建築群の法隆寺。世界遺産になるのがわかります。
来年は記念すべき1400年法要が行われます。
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松原照子氏の世見は
地球を救う為の世見から

歴史説明世見に変わったのですね…