松原照子世見
2019年12月24日(火)

浅井三姉妹  

今日はクリスマスです。
↑↑
いつ世見を書いている設定なのでしょうね(笑)
証拠として書いている日を毎日、書いてほしいものです。
都合のいいように書いた日を操作しないようにね…

今宵はどなたかとお食事をなさいますか?
それともお一人でクリスマスケーキを召し上がりますか?
どのような過ごし方でもいいと思いますが、イライラせずに過ごしましょう。
私は一人っ子なので姉や妹との物語はありませんが、「兄弟がいたら‥‥」こんなことを思ったこともありました。
姉妹といえば、浅井長政とお市の間に生まれた三姉妹を思い出してしまいます。
↑↑
うーん、、無理矢理ですね…(笑)

お市は信長の妹と言われています。従姉妹という説もあるようですが。
茶々、初、江の三姉妹は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と縁を持っていますから、まさに戦国の世の最大級の姫君達だと思います。
私はね。あの時代の立役者は、本当はこの三姉妹だと思っているのです。
茶々は秀吉との間に秀頼を生み、江は徳川二代将軍秀忠に嫁ぎ三代将軍家光と千姫を生んで、秀吉と茶々の子の秀頼と結婚しているのですから、DNAと申しますか、遺伝子と申しますか、とても賑やかに思うのです。あの世で信長がこの世を見ていて、お市の子が徳川の血を受け継いだのを知ったら、信長自身、笑わずにはおられなかったことでしょう。
織田・豊臣・徳川と言っても、これじゃあ親戚物語にしか見えません。
戦国時代を生き抜いた浅井三姉妹。
信長の姪である三姉妹、今の世なら力のあるおじちゃまと良いご縁でつながっていたことでしょうし、秀吉の側室(今で言う愛人)にはならなかったかもしれません。
父親の仇の信長、そして母の再婚相手の柴田勝家を滅ぼした秀吉も、母は勝家が亡くなった後自害したので仇と言えるはず。乱世の荒波には勝てなかったのか、それとも生きることをもっとも大切に出来なかったのか‥‥。
次女の初は名門京極家の正室になり、姉と妹とは違う人生を送りました。
↑↑
時代劇が好きなテレビっ子松原照子

ただの歴史感想文でした…