【松原照子】世見 2017年8月22日(火)

一攫千金を夢見て  

雪よ岩よ われ等が宿り 俺たちゃ町には 住めないからに

「雪山賛歌」を思い出される方も多いかと思いますが、元歌は「いとしのクレメンタイン」(原題:Oh My Darling Clementine )といいます。

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春がやって来ると、どんなに険しい山の中でも足場を見付けられれば、牛数頭と馬車を手に入れ、猟銃 斧 修理道具 ツルハシ 選鉱鍋 食事用鍋 樽 ロウソク カンテラ 長靴 帽子 食品の小麦粉 砂糖 塩 ベーコン コーヒーを揃えて西へ向かった。

目的地はカリフォルニア。

この頃のアメリカ合衆国の州の数は30。

カリフォルニアめがけて、約10万人の人々が一攫千金を夢見て出掛けた。フォーティニナイナーズと呼ばれる人々。このフォーティニナイナーズの一人の女性がクレメンタインの歌を作ったといわれます。

1848年の1月、黄金の発見は放水路だった。

19世紀に入り30年代頃からアラスカはロシア領でした。

サンフランシスコから160km北に行くと2000人ものロシア人が住んでいました。

アメリカ合衆国にアラスカを売却したのもこの時代です。

このカリフォルニアは、放水路で金が発見されてからたった9日後にアメリカ領になったといいます。

南北戦争といえばリンカーン時代。

アメリカが巨大化したのはメキシコの読みの浅さからだったのか、それとも南部と西部の人々が戦争好きだったのか。アメリカが勝利したのはご存知のことと思います。

大工が発見した豆粒の金が時代を変えました。

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以上、Google検索世見でした・・