7年前と7年後 昨日の5000mラップタイム | ウルトラランナーへの道

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2011年に立てたサブスリー、サブナイン、UTMF完走の目標は2012年サロマをもってすべて達成しました。陸上経験がなく40才から走り始めたランナーでも練習の仕方で速くなれることを実証しました。練習、栄養、ケア、グッズ、レース戦略について書いたブログです。

先に昨日の5000mのラップを書いときます。一周目で背中が痛くなりペースを落として走りましたがサブスリーペースよりは落ちてませんでした。終盤少し上げてるってことは余裕があったのでしょうが無理するレースではないからこれで良かったと思います。

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昨晩は背中のストレッチをしてから寝ましたがやはり張りが酷い。今回の張りの原因は分かっているし、どうすれば良くなるかも分かっているから焦りはない。信越五岳は万全なコンディションで走れるように仕上げていきます。

さて駒澤体育館で行われた2020オリンピック開催地決定のパブリックビューイングに参加し、東京に決まった時は鳥肌がたつくらい感動しました。実は涙が少し出ていました。なぜそんなに嬉しいのかは自分でもよく分からない。でも自分が生まれ育った日本がいろんな意味で復活する良い機会になるかもしれないと思う。

7年後の自分は何となく想像できる。生きてれば54才。健康ならもちろんマラソンはやってると思う。たぶんウルトラマラソンやウルトラトレイルをメインにやってるのだろう。仕事は何をしてるだろうか?今の仕事はしてないような気がするが、ここはよく分からない。でも50才を過ぎたら自分のやりたい仕事をしたいと若い頃から思っていたから大きな決断をするかもしれない。まあ決断が遅いと思うけどね 笑

で7年前の自分を思い起こしてみた。

当時はまだ本格的にマラソンは始めてなかった。スポーツジムのスタジオエキササイズに一生懸命だった。年に一回10キロレースに出るようになり、7年前の11月の10キロレースは46分台で走っていた。フルマラソンなんて走るとは思ってもいなかった。ましてやウルトラマラソンなんて別世界のことだった。

この頃の私は、今の私を想像できなかったでしょう。

7年経つと結構変わるのですね。。

社会もいろいろありましたし。。。

同様にこれからの7年も大きく変わっていくでしょう。

良い時代になるか、悪い時代になるかは分からない。でも時代に流されることなく自分が正しいと思ったこと。自分がやりたいと思ったことをして、何年後かは分からないが自分の生涯を終える瞬間に自分の人生に後悔はないと思えるような人生を送りたい。


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