計略 : 離間策と反間計 | 株式会社 無為自然

株式会社 無為自然

明治時代から続く 4代目治療家

皆様に知っていただきたい事があります。

私も心を痛めている事なのですが、
人をコントロールする人間は、
いつも策士として世の中にいます。

私も御仕事をしていると、
取引先だったり、
御客様に計略を用いて来られる方がいます。

私のような被害者が現れないように、
みなさまにも計略がどういうものか?
知って欲しくBLOGを書こうと思いました。


私は幼少の頃から、
仏様に導かれている感覚があり、
仏様に喜ばれない事はしたくない。
という気持ちがあります。

人の事は、悪く言いたくない。
と言う信念を持っているのですが…
人の事を悪くいうことで、
自分に感心と興味・尊敬を集める策を
使う人もいる事にショックを感じます。


離間策 ( りかんさく )
敵対する親子・兄弟・君臣・同盟といった関係の弱点を密かに突いたり、結びつく要因( 人・物・利害 )を悟られないように利用したりして、心理戦を仕掛けることで、対象となる関係を内部から崩し、漁夫の利を得ようとするもの。


漁夫の利
当事者同士が争っているうちに、第三者が何の苦労もなく利益をさらうことのたとえ。


反間計 ( はんかんけい )
兵法三十六計の第三十三計にあたる戦術。

敵の間者( スパイ )や内通者を利用する計略を言う。
すなわち、敵の間者に偽情報が流れるように工作して、その結果、敵内部の離間や粛清を図ったり、敵に我の望む行動をとらせるよう仕向ける。
敵の間者を直接に脅迫ないし買収して、いわゆる二重スパイとすることも含む。

中国戦国時代で最高の名将といわれる燕の楽毅は、大陸最強の超大国・斉に攻め入って瞬く間に七十余城を攻め落とし、残るは即墨と莒の二都市のみとなったが、即墨には田単が、莒には襄王が篭って固く守っていたのでなかなか攻め落とせなかった。

そうしている間に、燕本国では昭王が亡くなり、代わって恵王が即位したが、恵王は太子の頃から楽毅と仲が悪かった。
このことに目を付けた田単は、斉に潜り込んでいた燕の間者を利用して「楽毅がわずか二城をいつまでも攻め落とせないのは、そのことを理由に斉に留まって民衆を手懐け、燕から独立して斉王となる野心があるからだ」という情報が恵王に伝わるように仕組んだ。それを聞いた恵王はさもありなんと納得し、騎劫を送って楽毅を本国に呼び戻した。

帰国すれば殺されることが確実であると察知した楽毅は趙へと亡命し、名将楽毅を失った燕軍は田単率いる斉軍に負けつづけ、ついに斉の七十余城を全て奪回されてしまった。 

敵の間者を逆用して敵の内部を混乱させ戦力を殺ぐ離間策は反間計の例である。



先日、HAWAII に滞在した時も、
現地で御仕事をしている日本人の方が、
口を揃えておっしゃっていた事があります。
「 日本人がいちばん怖い 」
「 HAWAII 在住の日本人と仲良くできない 」
という御話を何人にもお聞きしました。

そしてみんなおっしゃっていた事は、
日本人が1番嫉妬深い人種かも知れないと。


離間策や反間計をもちいる方は、
「 私はこれだけあなたの為を思って言っている! 」
と親切な人のフリをしている事が多い。

「 あの人は〇〇だ! 」と、
価値観の誘導と方向づけをしてくる。
人をコントロールする天才ともいえる。

そして残念な事があって、
このタイプの天才は、
ネットワーク・ビジネスの幹部にいる。
洗脳と誘導。

相手を褒め、おだてて…
その気にさせる心理戦のプロ。

この手法を用いている人は、
他者を尊重・尊敬する事を知らない。

私は人の悪口や、
他者批判・評価をしたくないと思っている。

クリーンな御仕事をしたい。

相互理解や、相互尊重の上に、
人間関係は築けないのか… と、
本気で悲しくなったので BLOG に書きました。