私の中に響く言葉があります。
「 何者でもないが、何者でもある。 」
という言葉。
いままでの私の人生を振り返った時の
私の欠点です。
私は高校生の頃から神秘体験に襲われていて、
早い段階から「霊媒」として目覚め、
「 チャネリング 」などもその頃から使いました。
そして私が臨死体験・幽体離脱を繰り返す事に、
生の領域である「現世」と、
死の領域である「あの世」の境界線が曖昧になり、
自分が生きているのか、
それとも死んでいるのかさえ …
わからないような状況に、
追い込まれた事がありました。
少なくとも、正しい精神状態ではなかったです。
夜中に目が覚めると、霊界に自分がいたりします。
そこは現世と違い空気感がまったく違う。
「 凛 」とした空間で、
空気が止まっているという表現が適格な世界です。
目が覚めた時に、
まず私がどちらにいるのか…
把握する。
時には、目が覚めた時に
身体を抜けている時もありましたから。笑
私は、ただ自分の身に起こった事を
知りたかっただけだったのです。
青春時代は、霊的世界への探求以外、
まったく興味がありませんでした。
はい。
人として失格です。
友人を大切にしたい。
という付き合いもなければ、
社会生活を営もうと努力することもない。
ただ、自分の世界に引きこもっていただけでした。
私のブログの読者なら既に聞いたことがある
エピソードですが、
私は地球外に体外離脱したことがあります。
一瞬で地球の外まで高速で引っ張られ、
そこである存在と出逢いました。
光の粒子がどこからともなく、
1ヶ所で集まり、
大きな大きな人の形を型どりました。
彼に言われた言葉。
「 お前は何をしに地球に来たのか? 」
私は心の中で、
はぁ? と、頭をかしげます。
彼は私の様子を察したようで、
彼から霊的に圧力を感じます。
そうすると、
私のなかの私ではない何者かが、
「 はい。 」
と、勝手に答えるのです。
私は、
「 どうなってんだよ。これ…。」
と、ただ事態を飲み込むしかない状況でした。
すると、彼はとても安心をしたのか …
ニコッと笑って、
私に背を向けてどこかに飛んでいって
いや正確には、
粒子の状態に分裂して、
彼はたくさんの存在になって散りました。
ここからの私の人生は、
とても苦しかったです。
私の中にいる。
私ではないが、私という存在との共存。
人間の私は、ルールや法律を重んじる人格。
私ではない私は、
人助け・奉仕・ボランティアを好む私。
私ではない私の意志に抵抗して、
好き勝手に生きてやる! と思ったこともあります。
しかし、
私ではない私の意志通りに生きた方が、
人生がすべてうまく行くのです。
自分の自我を通すと、
なにもかもうまくいかない。
私は、大学生の頃から、
自分の意思で生きるよりも、
私であって私ではない私の意志に従って生きる。
という生き方を選択しました。
自分の感情を殺し抑え、
もうひとりの私の意志で生きる練習をさせられた。
という表現が正しいです。
この期間は大学生の頃から5年前くらいまでの
15年間は、完全霊媒 として生きてきました。
2011年の東日本大震災を節目に、
私は「 人間に戻りたい。 」という
自分の中から強い情熱が湧いて来ます。
そこからは、徐々に…
私であって私ではない私に、
従わない生き方を取り戻しはじめました。
こうして現在の私は、
人間としての泥臭い私と、
私であって私ではない私が、
うまく共存し、切り替えるように生きています。
2017年を新しく迎えるにあたって、
自分を整理している時に思い出したのですが、
地球外に幽体離脱をした時に、
霊的存在である彼から受けた 圧力 は、
「 リコネクション 」そのものの感覚でした。
局所的自我と、
非局所的自我の使い分け。
この使い分けをマスターするのに、
15年間も時間を要したようです。
彼から言われた 「 地球に何をしに来たのか? 」
という問いに対して、
私は答えを出す時期が来たようです。