自分は、頑張ったら、結構力を発揮するほうだ。火事場の馬鹿力、ではないけれど、いざという時、普段現れていない力を、瞬時ではあるけれど、出すことができる。仕事でも、窮地におちいるようなことがあったら、それこそ普段回転していない頭をフル回転させて、場をおさめられる。
 
 そんなふうに思っている方、いませんか?自分には、底力があるけど、それは、緊急の場合に備えて力を温存してるのであって、だから普段は余裕持ってるんだよ。

 私も、自分は、窮地に陥った時には馬鹿力を発揮し、乗り切ったこともあった、そう思ってました。

 でも、こういう認識って、他人から見たものと異なることが多いんですよね。自分が、そう思ってた。他人も、そう思ってる、と思ってた。

 人間の認識するのは、自分の関心の及ぶ範囲でしかなく、その範囲外は、存在しないのと同じになります。
 
 知らぬが仏。チャック、あいてますよ。人に言われれば、あぁ!!って感じですが、言われずに一日が終われば、その人にとって、チャックがあいたまま一日過ごした、という事実は、存在しません。
 
 話を本筋に戻しますと、私は、修羅場のように忙しくなった仕事場で、普段なら考えられないスピードで仕事をこなし、みんなと協力して、あっという間に沈静化させた。そんなふうに感じた日が、ありました。その日は、みんな、普段の仕事のスピードをはるかに上回る速さで、こなしているな、そう感じていました。仕事が終わったあとは、みんな、私と同じ爽快感を感じているなぁ、なんて充実感を伴いながら、悦に入っていました。

 それからしばらくたって、その日のことが話題に上ることがありました。いやぁ、あの日は修羅場だったね~、なんて話すと、え?そんな日あった??という反応が返ってきました。

 そうです。その日を修羅場と感じたのは私ぐらいなもので、もっとすごい現場を経験したことのある人たちは、あぁ、ちょっと普段より忙しいなぁ、ピッチあげよっか、という感じだったみたいです。

 その人のバックボーンにより、現実に起こっていることが同じでも、こんなにも感じ方が違うんだなぁ、と思いました。また、自分の感じ方というのは、まったく個人的な感じ方であって、自分がこう感じるんだから、みんなも同じように感じるんだ、という思いが、ガラガラと崩れました。

 本日は、すみません。自分の中に抱えているものが影響しあって、話が、まざってしまいました。私は、現実に起こっていることが同じでも、それをどの程度の深さまで感じるかによって、それぞれの人の感じることは、ことなる、という話をしていたのに、個人がどういった経験をしてきたかによって、同一の現実でも、違うように感じる、という話とまざってしまいました。どちらも言いたいのは、現実に起こっていることは同じでも、それを経験した個人が抱く印象というのは、人それぞれ違う、ということだったのです。オツムが弱くて、すみませんm(__)m書いているうちに、こんがらがっちゃったみたいです。脱線もよくします。本筋と違う方向に話がふくらみそうにも、なります。こんな読みにくいものを、読んで、自分のためになる、と思ってくれるのかしら?自分の言葉が、誰かの気づきに役立ったら嬉しいな。そんな思いで書いていますが、支離滅裂で用をなさないようだったら、やめたいと思います。それまでは、もう少し、頑張りますすぬ
 
 人の認識の仕方というのが、いかに自分を中心に行われているか。考えてみると、身近な例で、たくさんあるかと思います。

 一度、考えてみませんか?疑ってみませんか?自分の考えられる世界が、少し拡がるかもしれません。今まで自分が関心がなかった世界に、目がいくかもしれません。今まで自分が目を閉ざしていた世界に、光をあててみませんか?