転載します。
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「切腹に断首。でも私、諦めないよ」
長女が目に一杯涙し、笑って言います。
三歳で腸重積を患って以来、すくすく育った長女に異変が起こったのは、中学に入ってから。別人のように落ち着きがなく、やたらに汗をかき、だらしなく横たわり、ついには林間学校で倒れてしまったのです。
当家は十二人の大家族。ばーちゃんが泣いて訴えます。「何か病気があるとよ。お願いやけん病院に連れていってやってんしゃい」
しかし、見た目には普通。どこに診せたら……。戸惑ううちに、発熱して近くの病院へ。
「風邪ですよ」とおっしゃる先生に、「実は……」と思いきって相談をしてみました。「精神科でしょうか?」。先生は「その前に検査を」と紹介状をくださいました。
紹介された病院の診断は、甲状腺亢進(こうしん)症。薬で治療を始めましたが、改善しません。専門病院へ、と再び紹介を受けて電話をした病院の「遠いですが?」にも、本で読んだ<眼球突出や喉の腫れ>が既に出ていたし、<最悪は心臓麻痺(まひ)>という文言がよぎり、「構いません」と即答。すがる思いです。
診察初日、専門病院の先生は「薬で改善するはず。きちんと与えていないのでは?」と繰り返されます。進展せぬ状況に悩み、この日も早起きし、遠距離運転で疲れていた私は、「薬の管理は、この娘の祖父がしています。非常に几帳面で、その懸念は一〇〇%ありません」。つい強く答えてしまいました。
先生も少し気分を害されたか、しばらく黙っておりましたが、やがて「治療しましょう。ただし、薬をキチンと服用、当初は頻繁に来院、許可するまで絶対安静。そして諦めない事が大切。約束だよ」
ちょうど夏休み、一番楽しい時期に、長女はベッドに横たわる日々。「超最悪ーっ。生まんどけば良かったとよ」と叫ぶ事も。
「大病で苦しんでいる人が大勢いる。病院で、同じ病の驚くような症状の人も沢山(たくさん)見たじゃないか。第一、先生と約束したやろ」と諭すと、唇をかみ、横になります。
どうにか症状も安定し、二年間、治療を続けましたが、ある程度からの改善はなく、「薬でこれ以上は……。思い切って手術を。ただし、計測できるものではなく、いわば勘です。切り過ぎると逆に低下症の怖れも」
私は声も出せず、うなずくのがやっと。
お年頃の本人は、首に傷が残るという事も辛かったのでしょう。「切腹に断首……」。手術を待つベッドでついに涙をこぼしました。
その右手は妹が、左手は上の従妹(いとこ)がしっかりと握っています。側に立ち尽くす祖母には、真ん中と下の従妹が寄り添っています。
「ねぇ」長女が涙を拭(ぬぐ)い、恥ずかしそうに「もし治ったら…お医者さんになっていい? 私も、私のように苦しむ人の力となりたい」
妻が答えました。「うん。あなたが三歳の時、救急病院で、女医さんが『緊急手術。親御さんの許可を』とおっしゃったの。ママは怖くって、じき主人が……と答えると、『一刻を争います。諦めるの? 貴女(あなた)が親でしょ! 決めなさい!』と叱咤(しった)され、『ハイ』と答えると、白衣を翻して手術室へ。それであなたは一命を取り留めたのよ。あんなカッコいい女医さんになってね」
幸い今回も手術は無事に終了。やがて結果判定。先生は顔いっぱいの笑顔で「諦めず、よく頑張ったね。大丈夫、治ったよ」。
「ワッ!」。皆、思わず歓声をあげました。
しかし、次の問題が……。高校の進路相談で、長女の希望を話したのです。すると、担任の先生がスーッと笑顔を消し、「お父さん、私の知る限り、本校から医師になられた方はないと……」。どう言って諦めさせよう……。校門を出た私は、思わず天を仰ぎました。
そんなある日、経過検診に行った病院で、手術時にお世話くださった看護師さんが、「経過良くって、良かったね。そろそろ高校も卒業ね」と声をかけてくださいました。
私もつい気軽に長女を見ながら、
「ねぇ。だけど、いくら頑張っても手術する側になれないのが残念だねぇ」
すると看護師さんは「医学部志望だったわね。今までは病気で、勉強に全力できなかったしねぇ。でも、先生がいつもおっしゃるように、諦めなかったから病気に勝てたのよ。諦めない事が大切!」。
その時、長女の目がキラッキラッと光るのを私は見ました。また、諦めないな……。
現在、手術の日に長女の右手を握りしめていた妹が研修医一年目。左手を握りしめていた上の従妹は医学部の五年生。祖母に寄り添っていた真ん中の従妹は薬学部の三年生になりました。
そして長女は……。「私のように苦しむ人の力になりたい」。二年目の研修を修めます。
きっとこの医師は、こう患者さんを励ますでしょう。
「諦めない事が大切です」