俺はクジラ&イルカなんかほとんど食べたことないし、あまりうまいとは思わなかったので、特別また食いたいとは思わない。捕鯨が禁止されても個人的には全く影響がない。
だが、シーシェパードなどの反捕鯨運動に日本は絶対に屈してはいけないと思っている。その理由を以下に述べていきたい。
反捕鯨運動に参加しているのは基本的に白人ばかりである。そしてシーシェパードはとりわけ日本の捕鯨のみを攻撃しているように伺える。ロシア、ノルウェー、ペルーも捕鯨を続けているのだが、そちらに攻撃しているというニュースはほとんど聞かない。なぜだろうか?
それは反捕鯨運動は白人たちが人種的に「優越感」に浸りたいという動機によるものであり、要するにクジラの保護にかこつけた「人種差別」だからである。
現代、世界では「人種差別は悪」という共通認識が基本的にあるため、あからさまに人種差別をすると、自分たちが悪者扱いされてしまう。そして彼ら自身も自らのやましさとも真正面から向き合わなくてはならなくなる。
だから「かわいくて知能の高いクジラやイルカを殺す野蛮な奴ら」が相手といこうとで、日本という標的をわかりやすい悪敵に仕立て上げ、自分たちを勧善懲悪のヒーローにしてしまっているのである。これで自らのやましさを振り返らずに済んでしまい、どんな過激な妨害行為でも正当化できてしまうのである。
根っこはただみんなで集まって楽しく、自分が善の立場で悪を懲らしめるヒーローものの「ごっこ」に酔い知れたいっていうだけなのだが(新興宗教も多分みんなそうだと思う)、ああいうのはすぐにエスカレートしていくから怖い。心理学上で言う「制服効果」と「集団心理」ってやつが同時に働くと冷静な思考が停止して本当に恐ろしいことになるのだ。非人道的なことを平気でやるようになってしまう。
シーシェパードは決して動物愛護団体などではなく、文化・人種差別団体であり、過激な新興宗教であり、テロリストなのである。
だから明らかに自分から捕鯨船に衝突してきといて相手を訴えるなどということも全く恥ずかしげもなくできてしまうのだ。まぁそれは裁判に勝つことが目的ではなく、単に世間の関心を引きつつ日本に手間をかけさせダメージを与えたいのだろうが。
差別というのは劣等感や恐怖の裏返しである。白人の国の中でもとりわけ経済力・国際競争力・影響力などが弱く、それらにおいて日本に太刀打ちできないオーストラリアやニュージーランドで反捕鯨運動が特に盛り上がっていることからもわかる。
こういう差別心理はナチスのユダヤ人虐殺にも通じると思う。第一次世界大戦敗北後の大不況でズタズタにされたゲルマン民族の劣等感を克服し、優越心を満たすため、ユダヤ人は虐殺された。ユダヤ人は賢くお金儲けもうまかったので妬まれていて、格好の標的にされた。(非常に大雑把な分析で、実際はもっと複雑な背景があるのだけど)
そして2度の大戦を引き起こした罪の重さに耐え切れないドイツ人はユダヤ人虐殺の蛮行をナチス「だけ」のせいで片付けてしまって、この人類の大罪から目を背けている。そしてドイツ人は他にもっと悪い国はないかと他国に目を向け、戦前戦後の日本を悪者にしようとする。日本が悪であればあるほど、彼らの心は軽くなるのである。
そこは米中なども全く同じ。アメリカは原発による一般市民の大虐殺を正当化するため、中国は文化大革命による日中戦争の100倍前後の犠牲者を目立たなくするため、それぞれ日本を一生懸命悪者にしようとする。そのためならねつ造もまったく厭わないのである。そして優越感に浸りたい人、罪悪感から逃れたい人たちがそれを盲信する。
実際の旧日本は八紘一宇・民族平等の理想の下、ユダヤ人を救ったり東南アジア諸国の独立を命がけで助けたり、支配下においた国でも現地の言語を教育し、インフラを整備し、経済発展と近代化に寄与してきた。日本は戦争はしても、人種差別に基づく虐殺や奴隷化を全く行わなかった。 欧米諸国の虐殺・奴隷支配とは全くことなっていたのである。これは日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を加えるよう提案したことからもよくわかる。極限状態だから個人的に犯罪を犯した者もたくさんいただろうが、多くがきちんと処罰されていたし、その数も他国のそれより遥かにマシだったから、当時のアジアで人気が高かったのである。(戦後の中韓は別)
ユダヤ人虐殺の当事者であるドイツ人ですら自らの罪と正面から向き合わず日本を悪者にしているぐらいだから、それ以外の国でユダヤ人虐殺を自分たちの問題として真摯に考えている人が殆どいないのも無理はないかも知れない。あれはいつの時代、どこの国、どこの人種・民族でも起こりうる話なのに。シーシェパードだって根本は同じであるのに。
自分たちのやましさを見つめる視点を持つということは苦しく勇気のいることだ。俺自身も
よくよく心がけたい。
反捕鯨団体が主張するクジラを食べてはいけない理由など欺瞞でしかない。「クジラは知能の高い動物だから」と彼らは言うが、彼らも知能が高い哺乳類である牛や豚などを食べている。それらを「人間が食べるために神が与えた」などと言うが、まったく都合の良い言い訳にしか聞こえない。
イスラム社会では牛を聖なる生き物として、豚は不浄な生き物として共に食さないが、彼らが聖戦と称して牛・豚食文明と戦うと言い出したら、それらの肉を食べている人たちは甘んじて受け入れるのだろうか?
だいたい、中国なんか犬でも猫でも何でも食べてる。それどころか赤ん坊まで食べてる。食文化差別主義者たちはなぜそれを批判しないのだろう?日本の捕鯨だけはだめなんて理屈が通るわけがない。
もし彼らがベジタリアンで肉食文化を攻撃したいというのなら結構だが、それならクジラなんかよりもっともっと大量に殺されている他の動物を先に保護すべきである。養殖の方が環境負荷も高いのだし、自然の狩猟よりはるかに残虐なことが行われているのだから。
そして世の中には毛皮とか贅沢品のためだけに殺されている動物だってたくさんいる。なぜそっちをもっと攻撃しないのかが不思議。殺さなければ取れないような天然の皮など現代で必要など全くないはずである。
「クジラは養殖できず、絶滅の危機に瀕しているから保護すべき」という声もあるが、食用に捕獲しているのは海のゴキブリとも呼ばれるミンククジラなどの個体数が豊富な種類のクジラだけである。
だいたい欧米諸国でも石油発見以前は捕鯨を行ってきていたのだ。工業化で油が急激に必要になりアメリカやイギリスなどの欧米諸国によってクジラは鯨油のためだけに乱獲され、その数が激減してしまったのだ。現在絶滅の危機に瀕している種のクジラはこの時の乱獲がそもそもの原因である。
そして反捕鯨運動のさかんなオーストラリアとニュージーランドは、欧米諸国の捕鯨基地としてその恩恵に与ってきた国なのだ。もっと言えばそれらの国は原住民の虐殺によってできた国である。
その宗主国であるイギリスもその他北欧の多くの国も帝国主義と言う名の民族虐殺と奴隷主義によって領土を拡大してきたのである。アメリカや中国などに至ってはいまだにそれを巧妙に形を変えながら帝国主義・覇権主義を続けている。彼らが日本を批判するなどと、笑止千万もいいところだ。彼らが自分たちのやってる悪事を誤魔化すのに日本を悪者にしているだけである。
シーシェパードの蛮行は「さすが犯罪者流刑地、犯罪者の子孫だな」とか「さすが帝国主義・民族虐殺者の子孫だな」と思わせるに十分なものである。あれだけ厚顔無恥な人種に人種差別されるのだからいたたまれない。
どう考えても野蛮なのは彼らの方なのに、日本はその文化の特殊性ゆえに理解されないのである。まぁ世界の殆どがたかだか数百年前に先住民族の虐殺によって建国された歴史の浅い新興国ばかりだから仕方がないのだが。
捕鯨は日本の伝統文化である。日本は昔から伝統的に捕鯨を行っていて、それもかつての欧米諸国とは違ってクジラを少しも残すところなく利用してきた。乱獲はしないし、ちゃんと慰霊も行っている。
もし仮に動物を愛する純粋な気持ちで動いているのだとしたら、現在こうしている間にも人間が次々と虐殺されていることにもっと関心を持って欲しい。今世界各地で行われている虐殺・・・特に中国のチベットにおける虐殺やウイグル自治区での核実験による放射能汚染がそのいい例だ。しかも急速な工業化で環境汚染が進み、それらの公害で奇形児もいっぱい生まれている。
動物愛護なんてやるのなら、アメリカの軍需産業と石油利権のために無理やり起こしたイラク戦争という名の民族虐殺にも反対して欲しかった。環境破壊もすさまじかったし、人も動物もたくさん苦しんで死んでいったのだから。
レジスタンスもそこまでやってくれるなら僕も称賛するし、むしろ参加したいとさえ思う。まぁ、絶対にありえないだろうけど。単なる差別なんだから。アメリカや中国の民族虐殺に対しては一切批判せず、日本の捕鯨にはこれでもかと熱心に反対してくる。要するにナメられているのである。
日本に必要なのは、毅然と自らの立場を主張し、差別とは真っ向から戦い、違法で危険な妨害行為に対しては軍事行動も辞さない強い姿勢である。この問題は「クジラなんて食べなきゃいいじゃん」では決して終わらせられない。
2千年もの間他国の侵略に屈さずに歴史を醸成してきた単独民族の国など他にないのだから、理解されないのが当たり前なのだ。決して単なる驕りではなく、そういう歴史を持った国として、世界に伝えていかなくてはいけないものがあるのだと思う。
日本が長い歴史の中で熟成してきた文化の深さ・繊細さ・・・自然を崇拝し、活かし、共存する文化、和を重んじる文化 への理解を促し、白人たちの差別主義と合理主義に対し毅然と異を唱えるべきなのだ。
これは合理主義によって行き詰った世界をよりよいものに変えていくためにも大切なことだと思う。環境破壊も行き過ぎた経済格差も民族虐殺も奴隷主義も、全ては合理主義という名の非合理な新興宗教によって生まれたものなのだから。
そして日本人自身が日本について学び、自国の良さを再認識・再評価することこそが、日本人が合理主義に従う中で失った誇りと元気を取り戻すために必要なことでもあると思う。