私が「絶対善とはみんなの為なのです」と言えば「みんなとは誰を言うのか分からない」「みんなの為とは何を指しているのか」「みんなの為など全体主義の匂いがする、少数派を切り捨てる思想だ」などなどいろんな反論があります。

しかし「みんなの為に頑張ろう」と言うことに対して「みんなとは誰だ」「全体主義の匂いがする」「少数派を切り捨てるのか」なんて誰も言わない。「みんなの為に頑張ろう」と言えばそれは善い意味であるし「みんな」は誰かなんとなく分かるし「みんなの為」と言う意味もなんとなく分かるではないか。

 

それでは「みんなの為」の意味を詳しく説明してみましょう。

本来、善とは種族保存の為にあるのです。例えば動物たちは常に正しい行動をします。敵が来ればすぐに逃げますし、食べる草がなくなれば他の場所に移動します。そして私たちもそれら動物たちの行動は正しい行動であると考えるでしょう。それではなぜ、私たちはそれらの行動を無意識に正しいと感じるのでしょうか。それは種族保存に適う行動だからです。動物にとってもすべての正しい行動は仲間の群れ保存の為にあるのです。つまり正しい、善とは「群れ仲間の種族保存、群れの安心・幸せ」の為にあるのです。群れ仲間の種族保存の為には善が必要だから自然とDNAに書き込まれ本能となったのです。ですから人間に関して言えば「みんな」は基本的に軍隊が守っている国民が最大の群れ仲間「みんな」と言えます。

 

このように善は本来、本能的なものであり、それは種族保存であると分かれば「みんな」とは誰か「みんなの為」とは何かが自然と理解できるのではないでしょうか。私たちはまだ顕在意識では「善、正しい」とは何かはっきりと理解できずにいますが、潜在意識(本能)では「正しい」の意味をちゃんと理解しているのです。ですから「みんなの為になることは正しい」ということに対して誰であろうと「当たり前だ、当然じゃないか」と感じるのです。

 

そして人間社会は自然より複雑ですからいろんな問題があり「みんな」とはその問題に関係している人たちとなります。例えば国の問題であれば「国民みんなの為」であり、村の問題であれば「村民みんなの為」であり、家族の問題であれば「家族みんなの為」と言うことになります。このように「みんな」の範囲はその問題の条件、場合、場合によって変わるのです。そしてそれらの「あらゆる場合の問題」に絶対に共通しているのが「みんなの為」なのです。ですから絶対善は「みんなの為」と言えるのです。

 

また善を検索すれば「善とは正しい事、またはそのような行為」とあります。では善を絶対善に変えれば「絶対善とは絶対的に正しい事と絶対的に正しい行為」となります。説明すれば長くなるので省略しますが、これらのどちらにも共通するのが「みんなの為」になります。ですから私は絶対善とは「みんなの為」と言っているのです。そして「みんなの為」とはその群れ仲間の保存であり群れ仲間の安心・幸せなのです。

 

このように絶対的に正しい事は「種族(群れ仲間)保存」であり「みんなの安心・幸せ」なのです。そしてまた絶対的に正しい行為が「私より公を優先すること」、つまり愛や思いやりなのです。ですから何かみんなに関する問題が起きれば「みんなの為になる答え」を得る為には、みんながお互いに「思いやり」をもって考えれば「一番みんなの為になる答え」が得られるのです。

 

 

それでは何故、種族保存が「みんなの為」と言えるのかをもっと詳しく説明してみましょう。

種族保存をするためにはなるべく多くの個体が生き残らなければなりません。例えば貴重な食べ物を分けるにしても一番良い分配方法とは何でしょうか。それは例えば少し太っている人には少なく、飢えてやせ細っている人には多く、また多い家族には多く与え、少ない家族にはそれなりに分配することが多くの個体が生き残れて種族保存に適うことなのです。このように絶対善とは「一番みんなの為になる答えを得る為には私欲を抑えてお互いに思いやりをもって考えれば最もみんなの為になる答えが得られるよ」ということなのです。

 

「みんなの為」とは全体的な利益に適うことであり、みんなが一番納得する答えこそが「みんなの為」の意味なのです。ですから「全体主義的なにおいがする」とか「少数派、弱者を切り捨てる思想だ」とかいう批判は的外れな意見なのです。

「絶対善など絶対ない!」と頑なに否定しようとする人たちは私から見れば国民の幸せを邪魔しようとする悪人たちに見えるのです。大体、絶対善とは何か?をよくわからない人たちが「絶対善など絶対ない、そんな思想は恐ろしいことだ」ということ自体矛盾なのです。

 

そして基本的にみんなに関する問題はみんなで考え「一番みんなになる答え」を出さなければならないのです。これこそが本当の民主主義です。しかし現在の「正しいは人それぞれ」の善的相対主義の社会では本当の民主主義国家は実現できません。現在の堕落した日本のように「正しいは人それぞれでいいのだ」と言う社会であれば自分だけの私欲、政治家や官僚の利権の為でもいいではないかとなって本当の国民の為の政治は実現しないのです。そして本当の民主主義国家になるためには多くの国民が絶対善をよく理解して善的絶対主義の社会にならなければならないのです。

 

何度も言いますが絶対善をよく理解できれば、今後は何か問題が起きれば「一番みんなの為になる答え」を得る為にはまずは私欲を抑えて、時には意見が分かれる問題であっても思いやりをもってお互いに妥協できるところは妥協して「一番みんなが納得できる答え、全体的な利益になるであろう答え」をみんなで考えればいいだけなのです。

絶対善とはあらゆる社会的問題を最も効率的に、そして正しく解ける魔法のような道具なのです。

 

絶対善が広く国民に理解されるようになればすぐにでも日本は正しい国になれるのです。正しいとは「国民の幸せに適うこと」を言うのですから一刻も早く絶対善が国民に広く認知されることを私は切に願うのです。

現在のような相対主義「正しいは人それぞれでいいのだ」とうそぶき、政治家や官僚の利権の為に大企業の都合の良い政策ばかりを行っていいる腐った政治とはそろそろおさらばしようではありませんか。