日曜日は、終わって欲しくない。 月曜日は、始まって欲しくない。
子供のような学校があることの抵抗、また大人からすれば、仕事始まる悲しみかな?

でもこの感覚があるのはかなり危険サインだと思う。

学校や仕事が始まるのが、嫌ではなく、学校や仕事字体が嫌なのではないかもしくは日曜日にきちんと充実して楽しみや癒しを通過していないのではないか?
これが繰り返されれば、1週間は何回もあるのだから、この感覚を継続して生きて、精神的負担を積み重ねてしまうのではないか。

逆にあーついに始まる月曜日に胸高鳴るとか日曜日が楽しかったし、また週末も楽しみだと思えていければ、理想だろう。
今から自分は眠るが、少しの疲れと明日はまた自分のペースでこなそう。だから、健康的でいられればなぁ、頑張って!
仕事は認められた。たいしたものではなく、単調だがなくてはならない業務で自分は気に入って、やりがいを感じている。
しかし、社会人として強張った顔でとっつきにくい感じが所属している人間にはコミュニケーション不足でなんともはや!
しかし、朝礼に顔だすくらいしか接触しない。朝礼が終われば、配属された部署で認められた。

だから配属された部署では歓迎会を開いてもらえる程コミュニケーションをとれた。

それでも所属している部署でが必要なようで、配属先でいくら認められようがということらしい。

中間 割愛。

しょうがない。コミュニケーション不足解消のため笑顔の練習じゃあ、これが大変だか。

仕事できてもいわれて首きられたら、たまったもんじゃない。負けてられるか。

明日から笑顔で愛嬌ふって、なんとかこの問題をクリアしなければ。
だいたい会社さ、割愛。

仕事は我慢すること。だから給料は我慢料金。割り切れ、世の中そんなもんだ、迎合して自分もくそったれ社会人に成り下がってやる。できるか?いややれ!やらなきゃ明日の米がないぞ。
人は、だいたい同じことを繰り返す。

人びともだいたい同じことを繰り返す。

自分はだいたい毎日マイニチ同じことを繰り返す。
毎日を1週間単位にして整理してみると同じだ。

先週と今週と来週はどう違う。いや同じだ。

組織はマイニチを一年単位に置き換えても同じだ。
ちっぽけな自分は1週間でやはり同じようなパターン化された籠の中にいるようだ。

同じだと悩まなくてすむ。口癖でいつものようにだ。

これは微量ではじかれてしまうようなバリエーションを試みるが、そんなに大きく変わりようもない。

マクロな見方をしても歴史は繰り返す。歴史は変換や革命があるが、それでどれほど変わろうが同じような流れをはみ出しそうではみ出さない悲しいカラクリが働いている。

その中で、自分はちょっとした脱線し電車を降りて冒険に出る。

でも行くあてなどないもんだから、うろうろしたあげく脱線した電車のところに戻って、線路の復旧を待ってまた同じレールに同じ電車で、ふと安心して窓から景色眺めている。でも冒険しようという気持ちを励みに頑張って!電車に乗っていた毎日マイニチを繰り返す。悲しいかな?