こうのとりのゆりかごをご存知ですか?
ある集まりの全国大会が福岡であり、
記念講演で「こうのとりのゆりかご」の関係者の方が
お話しされるというので、聞きに行った。(一般枠で)
立ち上げに携わった田尻由貴子さんと
初めて預けられた人、宮津航一さん。
宮津さんは3年前から顔出し実名で活動されているそうだ。
(YouTubeなどされているそうなのでぜひご覧になってほしい)
こうのとりのゆりかごの1番目の子が3歳の子だったことは、
講演会を聞きながら思い出した。
今から17年前。
当時ニュースで見た時に
「え〜新生児じゃないの?!」と突っ込んだのを覚えている。
おそらく病院が想定していたのは、
自宅等でひとりで出産した女性が
ゆりかごに赤ちゃんを連れてくる、だったと思う。
蓋を開けてみれば、初日の1番目の子が3歳の子だったというのは、
今思えばなにか意味があってのことなのかもしれないと思う。
あれから年月が経ち色々な子が預けられていったそうで、
田尻さんからたくさんの事例を聞くことができた。
(田尻さんの歴史、ゆりかごの立ち上げの経緯など)
ゆりかごに預けられる際に、
身元がわかる子と分からない子といるそうだ。
宮津さんはわからないほうの子だった。
扉を開けたところに、服が数枚と靴一足(名前なし)そして、
3歳の男の子がちょこんと座っていたという。
航一という名前は市長が付けたこと、
その後引き取られた宮津さんのお家は、
すでに5人の男の子がいる家庭だったそうで、
そういった環境も良かったのだと思う。
身元もすぐにはわからなかったが、
(それ故の苦悩等もたくさんあったと聞いた)
徐々にわかっていったそうで。
実の母は、宮津さんが生後5ヶ月の時に交通事故で亡くなり、
しばらく親族の方が育てていたけれど、
できなくなったので、こうのとりのゆりかごに連れてきたそうだ。
大きくなった宮津さんが、
実母のお墓参りをされている(ように見える)写真もスライドにあった。
住んでいたのは東日本。
九州までわざわざ乗り物を乗り継いで、連れてきてくれたということは、この子が生き続けることができるように、と思っての行動だと思う。
それは愛だと思うし、助けを求めることができるということは素晴らしいことと思う。
(おかげで宮津さんは21歳になられた)
こうのとりのゆりかごは熊本が日本初ではない、
などたくさん聞くことができた。
あ〜良かった!聞くことができて!!と心が震えた。
このお二人のお話を聞く機会があるならば、
多くの人にぜひ聞いて欲しい!!と強く思った。
宮津さんのお話しを聞いていて、
米津玄師さんの曲「さよーならまたいつか!」を思い出した。
私は、
人がのたまう地獄の先にこそ
私は春を見る
という歌詞が好きだ。
米津さんのCDを購入して知った歌詞。
ドラマは見ていなかったけれど、ドラマの中の大事な部分だと知り、後日ドラマのまとめの番組を見て、最終回にそのシーンを見ることができて涙が出そうになった。
この曲の一番最後の歌詞に。
生まれた日から私でいたんだ
知らなかっただろ
さよーならまたいつか!
とある。
宮津さんを見て、この歌詞を思い出した。
私が知った時からこの歌詞はすごい!!と
感動し、癒され、励まされた。
私も成長する過程で
たくさん傷つき、傷付けられてきたけれど…
自分を否定ばかりしてきたけれど…
大丈夫、生まれた時から私は私だったんだ!
ずっと否定してきたけれど、私は私だったんだ!
知らなかったー!けど思い出した!!と強く思えた。
とても好きな言葉だ。
(米津さんって、本当にすごいと思う!)
宮津さんも色々苗字が変わったそうだが、
生まれた日から僕は僕だったのだ。
ちなみに、こうのとりのゆりかごは、
「赤ちゃんポスト」という言葉で覚えている人もいるかもしれませんが、
当事者の方たちは「使ってほしくない」とのことでした。
なので、「こうのとりのゆりかご」で。お願いします。
