久しぶりに障がいについての研修会。

といってもYouTubeで動画配信されているものを試聴するスタイル。

 

YouTubeの学習会が一番快適。

自宅にいて、好きなお香を焚いたり、好きな飲み物を用意できるし、メモしたい時は一時停止できる。トイレも好きなタイミングで行ける。

 

ずっとこの研修会スタイル残って欲しいな〜と思う。

(ちなみにこれは有料の研修会だったが、それでOK!

お金を出して快適に勉強できるのなら、そちらの方が断然イイ)

 

 

発達障がいの人の愛着について。

専門家の話を聞いたら、どうなるかなあ……と思ったが。

想像通りだった。

 

 

スライドに、ヨチヨチ歩きの頃の赤ちゃんが

「こういうことをしてほしいな」と思っていることの例が紹介された。

 

 

 

「守ってね」

 

「なぐさめてね」

 

「大好きって受け止めて」

 

「気持ちを落ち着かせてね」

 

「見守っていてね」

 

「手伝ってね」

 

「一緒に楽しんでね」

 

「大好きって見てて」

 

「いろんなことをするから見ていてね」

 

「いま行くからおいでよって待っていてね」

 

 

これを読んで涙が溢れてきた。(もちろん一時停止)

YouTube学習会でよかった💦周りに人がいないから思いっきり泣いた。

学習会でトラウマが刺激されて辛いことが時々あるが、家でなら大丈夫。

(コロナ禍でも良いことがあるんだなあ〜)

 

 

 

赤ちゃんは生まれた時から輝く存在。

前向きでやる気に溢れている。

スライドに書かれているようなことを、周りの大人に訴えている。

 

 

大抵はこの思いを受け入れてもらって、応対してもらうのだが、

してもらえなかった人も存在するのだ。

 

 

私が泣いたのも、特に「この場面」という思い出があるわけではない。

それはまだ言葉を獲得できていないころの思い出で、覚えてることが出来なかったのかもしれず、

どこか心に引っかかるような出来事があったがそれが解消されず、

ただモヤモヤが残されている状態なのかもしれない。

「叶わなかった」ことが、強烈に刻まれているのだろう。

そして私のどこかに「救って欲しい」と言う気持ちもあるから涙が出るのだろう。

 

 

そこで思い出したことがあった。

 

宇多田ヒカルさんがインタビューに答えた言葉が以前Twitterで紹介されていて、「その通りだ!」と衝撃を受けてメモった言葉がある。

 

 

「自己肯定感って、なんでも「いいよ、いいよ、最高」って言うことじゃなくて、子どもが悲しいと思ったら、大人からしたら大したことじゃなくても「悲しいよね」ってその都度認めてあげる。そういうところから芽生えてくる。」

 

 

 

良いことがあった時じゃなくて、むしろマイナスな出来事について、どれだけたくさん「認めてもらえたか」「受け入れてもらえたか」が、自己肯定感が高まるということにつながるのだろう。

自己肯定感という言葉の説明で一番納得できるものに出会えた。

 

 

 

じゃあ、今、涙が出ている私を、悲しいよねと言って抱きしめてあげよう。

 

ずっと「そんな弱い私じゃダメだ」「こんなことでいちいち泣くなんて」とダメ出ししてきたが、それは間違いなのだ。

弱っている時にこそ、肯定されて、初めて自己肯定感を得られる。

 

 

ちなみに、自己肯定感という言葉こそ、他人任せのものなのだ!!とおもう。岡田尊司先生も、自己肯定感とは今までどれだけ他人に肯定されたかだ、と言われていたし。(その言葉も好き)

(自己肯定感高い人は、自分の持って生まれたものではなく、周りの環境が良くて、もう最初からプレゼントされているようなものだから、気づかないんだろうな。自分が恵まれている、と。自己肯定感低い人がいたら、「なんで?こんなの当たり前じゃん」とか普通に言いそう。低い人は最初から低いものなのに)

 

 

 

 

学習会のスライドの下に、

「いつでも、子どもより大きく、子どもより強く、子どもより賢く、そして優しい存在でいよう」とあった。

 

 

そうだよな〜私、いつも

「優しい存在でいよう」と常に考えていた。

それでいいんだ、と思った。

 

 

 

 

 

もし、周りに小さい子がいたら、

 

「守ってね」

 

「なぐさめてね」

 

「大好きって受け止めて」

 

「気持ちを落ち着かせてね」

 

「見守っていてね」

 

「手伝ってね」

 

「一緒に楽しんでね」

 

「大好きって見てて」

 

「いろんなことをするから見ていてね」

 

「いま行くからおいでよって待っていてね」

 

 

という子どもの声なき声に耳を傾けて接すると、

ちょっとは客観的に、冷静に接することができるかも。

 

 

子どもとの生活は自分のペースで動けないからイライラしたり、気持ちやタイミングが乗らない時にしないといけないことが多いから大変だけれど、そんな24時間を、どれだけ自分の感情(イライラなど)から離れてフラットに過ごせるか、でもあると思う。

 

 

 

目の前の人を、「助けがいる」子ども・人なのだと、見ることができるか。

私の今までの育ちと、障がいのある子を育てて学んだことの一つかな……

 

 

今日も自分を抱きしめて……生きていくんです。