8年ほど前、文章を書き写すのにすごくハマっていた時期があった。
石井ゆかりさんの文や、あるカウンセラーさんの文、
他にもネットで見て良いな!と思ったものは
ルーズリーフに書き写して、
写経しているような感じで
何度も何度も同じ文を書き写していた。
その文章をより理解したいと思ったから。
何度も書くと覚えてきたし、
自分が良い文章を書いているような錯覚も持てて楽しかった。
文字を書くのが好きな私だったから。
その時のルーズリーフはもう捨ててしまって
全く無いのだが、
最近石井ゆかりさんの、ある文章が思い出されてきて、読みたいなあ〜と探すがない。
どこで読んだんだろう。
本だったら残っているだろうが、
多分ゆかりさんのブログかなにかの文章で
そのブログはもう無くなったのだと思う。
自己肯定感という言葉が苦手……という文章だった。
自分を好きになれない人が、無理をしてもだめ、
深海魚に「沖は素晴らしいところだよ!おいでよ!」と無理やり海の上に連れていくようなものだ、と。
無理なものは無理なのだ。
自己肯定感が低い人というのは、
「自分は価値がない、こんな私が人に会うなんておこがましい」と自分を低くして、引っ込む。
相手が大事だからこそ余計に自分が相手にふさわしくないと考え、離れていく。
だが、相手から見れば「あの人わたしから離れて行って。もうわたしのこと嫌いになったのかしら」と思う。で、もういいや、と気持ちが離れていく……
本当は自己肯定感が低いから、人と会うのが嫌なだけなのに、
相手にいらぬ誤解を与えてしまっている。
が、本人は気づかないのだ。
深海魚の自分に、無理やりすきになりなさい!自己肯定感を上げなさい!というのではなく、
低いままでいいけど、それでは相手に要らぬ誤解を与えてしまっているので
それは避けた方がいいのでは、という文章だった。
自己肯定感は低いままでも、相手のことを思いやって、
しっかりコミュニケーションを取ることだってできる。
そういう時は、すごく自分って、いい感じじゃないだろうか。
ゆかりさんはこのように言われていた、と記憶している。
どうせ自分なんか……と、自分から去ることをよくしていた。
この文章に出会った後も、やってしまっていたなあ〜😅と思うことも。
(つい最近も!)
ようやく、腑に落ちた、という感じ。
知っているだけじゃなく
している。が大事だと。
あの頃学んだことを、今回収している感じ。
私はなんでも時間がかかるのだ。
学校の勉強も理解するのに時間がかかった。
一度では理解できず2度3度と聞いてようやくわかることも。
だから「二度手間」「三度手間」は良くあることだ。
それが私らしさだなあ〜と自分で受け入れるようになったのかも。
今日イソヒヨドリを良く見た。
かわいい青い鳥。
そんな小さな気づきができる自分も好きだ。
今日も神社へ。
たくさんおしゃべりしたあと、
あのスーパーに行きたい、とふと思い
行くと、子どもがずっと探していたカップラーメンを見つけることができた!
「やったー!」と嬉しくなった。
今週はたくさん歩いて、ちょっと体力つけておきたい!