なんとなく……モヤモヤ

 

 

こういう時はぜひ行きたい、神社。

 

どうやっていくか(バス、電車、徒歩)

も含めて、うーーーーんと考え、

というか、自分に聞き

電車!となった。

 

 

秋の空気が気持ちがいい。

木々の色が変わる姿もいい。

木の実がたくさんなっている木も素敵。

ついつい写真を撮りたくなる。

 

 

今度旅に行く、

その報告をしていたら、

あ、お寺にも行こう、と思い

神社でゆっくりした後

バスに乗った。

 

 

 

乗ってすぐに

斜め前に座るおじいちゃんが

メモ用紙を落とした。

私はついつい、いつもそういう物に目が行き

声をかける。

が、ゴミ、ということもあり

気まずい〜〜という状況もある。

が。

 

おじいちゃんのメモ、どうしよう……

でも気づいたのは私だし……

と、悩んだが

バスを降りた時に、スッキリしたいので

降りるついでに声をかけてメモを拾って渡した。

 

 

いま、コロナのこともあって

相手が落としたものをひろうのも気を使う。

私はいつもことある毎にアルコール消毒をするのでいいが、

私という他人が触ることを嫌がる人もいるのでは……という思いだ。

だから、拾わない方が、お互いのため、と思うかもしれないが

お年寄りが足腰悪くて、床に落ちたものを難儀そうに取っているのをみたら

手伝いたくなる。

が、私が触るのが嫌な人もいるかもなあ……

「優先席を譲られるのが嫌」な人もいるし。

 

「落ちましたよ」と、声をかけるだけにしている人もいる。

(渡せなくてごめんなさいね)と心の中でいいつつ。

元気な人には、なるべくこうしている。

 

 

 

という、ジレンマはいつもあるが

それでも、今日は、自分の後味を考えて……

拾って渡した。

でも、これが良かったのかどうか

いまだにわからない。

 

 

 

 

「自分のほうが正しい!」

こう思うことの怖さを、識子さんの、高野山の本を読んで思う。

自然に出てくる、相手を非難する気持ち、が悪いのだ。

 

 

 

本の中で、識子さんが経験したようなことを

私も今日、その後訪れたお寺で経験した。

 

それは、とても深い学びだった。

 

自分の心の中にある、芽。

 

成長(かなりしていたが)すれば

良くない芽。

 

 

イメージで、むしり取って、むしり取って、

えいやー!!!とキレイにした。

といっても、一回ではキレイにならないから

定期的に自分の心を見直さないと。

 

 

でも、その気持ちは

今まで生きてくるうえで、大事な感情でもあった。

支えになるもの、でも、歪んでもいた。

が、立場によっては、それは仕方がないよね、

と思えるもの。

でも、もう、今は必要ないから。

大丈夫だから、と。

今まで頑張ってきたね。良かったよ。

今までの自分の頑張り、虚しさ、悔しさ、無念さ、辛さも認めます。

それがあったから、生きてこれた人生もあったから。

だから……もう、手放して大丈夫だよ。と。

今、は、もういらないから。

特別じゃないから、と。

 

 

プライドも、暴走すれば、悪い。

人に嫌な思いをさせる……まるでオナラのようなものだ!

 

オナラは出さないと、体に悪いし

意味があってお腹の中で作られるもだから

存在は悪いものではない。

 

出し方、だとわかった。

 

 

人前で出せば、嫌がられる。

じゃあ、どこで出せばいいか、なのだ。

 

 

 

もう、認めてもらおうと

思わなくてもいいのだから。

 

 

 

 

他人を見て、

「あーこの人は…………」

と思う人は、本当に先生だ。

教えてくれる。

今の自分の課題、向き合わないといけない感情、考え、

それを、変えていきなさい、と。

 

何度も何度も、学ぶ機会を与えてもらえて

ありがたい。