今日は業者の人に来てもらい

犬の遺体を引き取ってもらった。

色々な方法があるのかもしれないが

うちはもうそのまま。

人間のように供養などせず、

自然の一部として。

 

 

昨日入れる箱を買いに行ったが

いいサイズのものがなく

結局新品の段ボールになったが

ちょうどサイズが良かったようだ。

 

 

やっぱり、箱が固かったらいけないから、と

クッションといっしょに入れてあげるので

ちょとと大きくてよかった。

犬の体重は2.5キロなので、重いというわけではないし。

 

 

業者の人は朝一番に来てくれたが

それがいいのかわるいのか。

別れは寂しくて・・・・

 

箱に入れるときも涙がとまらない。

この箱に入るといよいよ、

あ~もう亡くなってしまったんだなあ・・・

という思いがこみ上げる。

長男も始めて涙が出た。

 

 

それから、花を入れたり、おやつをいれたりした。

 

 

 

業者の人が持って行ってくれた。

 

 

 

 

長男は、車に乗せてもしばらく触っていた。

業者の人も待ってくれていた。

私も夫も声をかけることはなかった。

 

もう気が済んだ、というところで

車は行ってしまった。

 

ずっと合掌している長男。

私は手を振って・・・・

 

 

やっぱり、涙があふれてとまらない。

 

 

 

家にもどって、しばらく、二人で泣きつつ

思い出話をした。

 

そして、やっぱり、クリームは良い犬だったよね!

という結論になった。

そもそも、飼うきっかけになったのは、

長男がとっても欲しがったからで

それで私も覚悟を決めた、という感じだった。

 

実家でも犬を飼っていたが、

でもお世話するほどでもなかったし

同居人、という感じだった。

今回、初めてお母さん、という立場になり

その責任も感じつつ、でも楽しく犬と過ごすことができた。

 

最初の一歩がなかなか踏み出せなかったので

それを越えさせてくれた長男に、ありがとうというと

「えっ」という顔をして

「ありがとう」と言い返した。

自分ではそう思っていなかった、という感じだったが

嬉しそうにしていた。

 

でも、本当に、長男のおかげだから。

(ちなみに、次男は学校があったので、朝早くから出かけていたのだった)

 

 

 

 

 

しばらく、家では静かな時間を過ごした。

 

寂しさは、波のように、時々打ち寄せて

涙がでたり、

急に明るくなったり、と

感情が揺れ動いた。

 

 

グリーフケアでは、このようなことは、

当然のこととして、受け入れることが大事だと知っていたらから

「いつまでも、くよくよしちゃって、だめな私」なんて、

絶対に責めない。

 

ただ、感情が来るのに任せるだけ。

泣きたかったら、泣けばしいし、

嬉しかったらありがとー!と叫ぶし、

全ては自分の中にあるのだ。

 

 

 

 

ふと。

今までの自分を振り返った。

 

私って、「だっこされたい子ども」だったよなーと。

その想いが満たされないまま育ったので

いつもどこか飢えていて、求めていて。

 

でも、犬がくることによって、

犬を抱っこすることによってその気持ちを満たしていた。

 

キンキキッズの曲「愛されるより 愛したい」のように、

人は、愛されるより、愛するほうがエネルギーが湧く。

マッサージも、されるより、するほうが癒される、と聞く。

(どこかできいた)

 

人はそのように、人にすることのほうが、

自分に帰ってくる量が多いという。

 

 

 

犬が死に、父母ももういない私としては

どっちが寂しいかというと、犬のほうなのだ。

それは、父母がアレな人、というわけえではなくて

父母はやっぱり、愛してくれる存在と考え

犬は私が愛する存在だから。

より心が震えるのだ、と思った。

エネルギーが大きいから。

だから、犬が死んでとっても悲しいが

その分、私は犬をとっても大事に思っていた、という証拠でもあるのだ

とわかった。

 

 

そんなことを色々頭の中で考えていたら

犬の声がしたような気がする。

「僕のことを、全部肯定してくれたから

病気のある身体を否定せずに受け入れてくれた人がいたから

僕も自分のことが好きだったよ。ありがとう。

頑張れたんだよ。だっこしてくれて、ありがとう」

 

涙が出てとまらない。

私だって、生まれてから、一度も抱っこされたことがない、

とは思っていない。

それに、お大師様に「よう生まれてきんさった」と新生児の時のイメージで

抱っこされたこともある。

そしてほかの神様、仏様も。

 

 

クリームは、よく私の手をぺろぺろと

美味しいものを食べるように舐めていた。

これは、クリームが私のこと、好き~という気持ちからしていたことで

それに声が聞こえたとき、私はまるでクリームに抱っこされているような気持ちになった。

包まれているような。

 

 

「だから、お母さんも、お母さんのこと好きになってね」

と。

「こんなに優しい人だから、きっとお母さんがお母さんに好きーって言われたら

僕みたいになれるよ。」

 

犬がどれだけきつかったか、わかる私は、もう涙が止まらない。

 

そうだね、私、弱っている人を大事にできる人だから。

だから、クリームもなんとか、苦しくないように・・って思っていたよ。

 

 

「本を読んで、口癖を変えるのもいいけど、もっとスゴイ人、お母さんがいるんだよ。

僕を抱っこするように、あの時に自分を抱っこしてあげて」

そう言われた。

 

 

あの時????

 

 

それは、生まれてすぐに全身やけどをして

痛いなか、寝転がっている私。

周りの大人は「もうだめかもしれない」と諦めてテンション低めの暗い顔、

声かけの言葉も、似たようなものだろう。

そういうのを見聞きしている、新生児の私。

 

ここまでひどい境遇の人生を選んでしまったのか?

どうしよう、もう、私、ダメだ、死んでしまいたい

 

 

そんな絶望に似た気分で

やけどの痛みに耐えて寝転がっているのだった。

 

 

 

私は、段ボールに犬を入れる時にそっと抱きしめた時のように

新生児の私を抱きしめた。

 

「大丈夫、あなたは、あなたのままでいいよ」

 

やけど、痛いね。大丈夫、いたいのいたいの、飛んでいけー!で

すぐになくなるから。

見かけも気にしなくていいよ。

大丈夫、あなたを私が守ってあげる。

 

 

犬が亡くなる3時間前、痛そうに、苦しそうにしていた時にだっこしていたように

私はイメージで自分を抱きしめた。

そして声をかける。

 

 

 

これが、欲しかったのだった。

 

 

 

 

もう、嬉し涙しか流れない。

クリーム、ありがとう、そう、こういうことだよね。

あなたが伝えたかったことは。

 

 

 

愛と、スペースに包まれていた。

あの頃頑張れたのは、まるでSF小説のように

未来の私がいたから?

先祖がなんとかしてくれたんじゃなくて

自分は自分でやけどの痛みなどに耐えて

ここまで大きくなったのだ、と。

そして、今、ここで、私は私のままでいい、と強化できたのだ。

 

 

クリームの病気がわかって、歩けなくなった姿をみたり

どんどん病気が悪くなっていって、つらそうだったが

それでも「なんでそうなの?」と責めるのではなく

「そうなのね。OK、じゃあ、私ができることは?」と

対応していた私がいるから。

 

 

 

 

 

 

 

私が塗香をつけた手で、ずっと犬をなでていたので

朝、長男が犬をにおったとき

「甘い香りがするね」と言った。

あ、それは、私の新しい塗香よ。バニラの匂いがするでしょ、と。

 

新しい匂いをまとって、

犬は天へ行った。

 

 

きっとたくさん褒められるだろうし

生まれ変わるなら

きっと楽しい人生を送るだろう。

 

 

 

 

また会えるかな。