高野山ではたくさん学びがあった。

 

旅の直前に、小学校での性教育の講演?的な依頼をもらい

どのような話をしたらいいんだろう・・・と正直悩むところもあった。

が、高野山へ行って、少し吹っ切れた。

 

なにか偉いことをいうんじゃなくて

今の私の正直なところを、隠さずに

体験してきたことをただ話す、

そういうリアルをお母さんたちに伝えたらいいんだって。

 

 

同じ境遇だからこそ、入る内容もあったりして

誰でもいいわけではない、

私だからこそ言えることを

しっかり伝えることができたらいいな、と

家にいて思った。

 

 

昨日、奥の院の御廟で

お社は台風の被害にあって

修復中だったけれど

はじめて御廟にお参りさせてもらった日のことを

思い出した。

 

あの時。ちょうど、お母さんたちの前で久しぶりに話す、というタイミングで

どうなるだろう?緊張するなあ・・・どうしよう…と思っていた時期だったが

あの山の中のお社を見たとき

キラキラ光って、なにか温かい気持ちになり

大勢のお母さんたちの笑顔が見えた気がした。

 

そういう未来が待っているとは、思わなかったが

きっと未来を見せてもらっていたのかもしれない、と。

 

 

大勢のお母さんたちの前で話をさせてもらう機会を次々にもらい

本当にありがたい。

その時の原点は、やっぱり、自分の子どもがこんなに好きで、好きで

楽しいよ~♪ということを伝えたいということだったので

今度もそのような気持ちでいいんだ♪と思えたら

今日一日でスライドができあがった。

 

見直して、結構良い感じで

やったー!!!という気持ちでいっぱい(*^▽^*)

 

 

 

 

 

 

最近、自分は元気だな、

なぜなのだろう???と今までを振り返った。

 

 

まず、やっぱり、

過去にダメ出しされた自分、もしくは

親の価値観(期待)に応えられなかった自分に

「おかえり~」と言えたことかな、と思う。

 

私は、親からダメ出しされたことすら気づけないくらい

かなりダメージを受けていたから

カウンセリングを受けてはじめて、あ、私ってダメージを受けていたんだ、

と気づいたが。

(なんとなく、頭の良い弟と比べられて、いや、ある時点から

比べられさえされず、蚊帳の外にだされていたのかもしれない)

 

 

神田明神の平将門神様のように、

「おかえり~」って帰って行けた。

 

将門神様のように、

まわりの神様はそう思ってなかったよ、

早く帰っておいで~と思っていたよ、

というかんじで、

親からダメ出しされたと自分が思いこんでいた部分もあるし、

自分が親から「こんな期待をされているのに、こたえられなかった」と思っていただけの部分もあった。

 

 

人からの評価を気にしない、というのは、

そういうことなんだろうな~

 

人、というより、自分だ~

 

 

 

 

で、あと一つ。

こういう可哀想な私をなんとかしてくれるのは、他人だ。

と思い込んでいた、事実。

 

この人が認めてくれるから、自分が存在できる、

みたいな歌って、世の中には結構ないかなあ。

それって、違うからね~

自分の味方は、自分しかいないよ。

他人ほど不確かなものはないし、

それは言い換えれば、自分だって他人のことをそこまで命がけでできないから!

 

 

自分だけが自分の味方だなんて・・・なんか、寂しくないかなあ・・・

 

始めはそう思うが、自分に元気が出てくると

人がたくさんまわりに集まって来だした。

今がそう。

 

 

 

うじうじしていたころは、人が集まってこなかった。

爽やかじゃないからね。

 

同じように、うじうじして喜ぶ人しか来なかったけれど

今、自分に自信ができて(「ダメだしされた自分にお帰りと言えた」)

好きなように生きていたら、

人が色々と助けてくれたり、お願いされたりして来だした。

 

自分の好きなように生きるって、

自分のことばかり考えているんじゃなくて

「この人はそうされたら、どう感じるかな?」とか

「今こんなことで困っているみたいだから、こうしたらスムーズにいくかな」

という想像力を使うこと。

コントロールするのと、また違う、想像力。

相手が楽しくなれるようなこと、

喜ぶこと、

よりよい方へいくこと、

を考えるだけでOK。

 

その範囲のなかで、自分の心がよろこぶことをするだけ。

 

 

他人を見ていると、自分の心が写っているようで

勉強になるし、自分のことがわかるから

いいな。