「親への御恩返しと、親の子育ては、

この世に姿あるなしに関わらず

子どもが死ぬまで。」

山本英照さん

 

両親が生きているうちに、

もっとできたことがあったのではないかな?

そう責める自分がいたこともあった。

逃げ出したいと思う弱い自分がいた。

 

とっても責めそうになった時、

真言宗に出会った。

「死んだあとでも

先祖供養という形で

両親にしてあげることがある」

そう教えていただいた。

供養といっても

難しいことではなくて、

思い出したり、

感謝したり、

こころを寄せること。

そう教えてもらった。

 

今いる自分は

色々な人のおかげである、

そう振り返る時間のことと思っている。



 

自分の親は、自分の未来の姿。
そう感じる時がある。

先に生きている分、
生き方も、
死に方も
教えてくれる。


今日母の一周忌の法要の日。
命日はもう少し後だけど。

親戚が集まる。
主に母の兄弟たち。
思い出話をたくさん聞ける。


お寺に集合。
お寺さんの話で、

結婚について。

仕合せについてのお話が。

 

夫婦はちゃんと最後まで添い遂げないといかんですよ、

「しあわせ」とはそれぞれの立場で見え方が変わるもん。

ちゃんと確認せんとですね。

夫は「おれが我慢してるから、うまくいってる」といい

妻は「私が我慢しているから、うまくいってる」そう思うもん。

自分のことばっかいったって、変らんけんね~

相手の立場をかんがえる、

ちゃんとあわせていく。

それが仕合せ。



 

そして
「お参りに行った先で、
お母さんの同級生と会うこともあります。
そしたら、けっこうお母さんが亡くなったっていうことを
知っている人が多くて。」

そう、お世話になっているお寺は、
母の実家に近くのお寺さん。
母のすぐ下の弟(私からみらたおじ。Kおじ)の同級生が住職をされているのだ。


去年のお盆に、母の中学の時の学年で
同窓会があったので、
それで母のことをお知らせできたのだった。
母の幼馴染が実家に何度も電話をかけてくれていた。

この方は、昔よく母から聞いていた幼馴染の「くさちん」
これは旧姓のあだ名だったので、本名が分からなかった。
実際は、携帯電話にちゃんと番号が登録されていた。
それも違う?!お名前で。
でも、実家の留守番電話にくさちんが
「旧姓○○、今は□□といいます」
と入れてくださてっいたから
なんとなく勘を働かせてわかったのだった。

「風の噂で亡くなったって聞いたけど、
直接家族なり確認しないことには
納得できなかったから」
そう言われていて、初盆にお参りに来てくださった。


その方や、母の2番目の弟(Hおじ)が
色々と同級生に教えてくれていた。
究極の地域で暮らす、ということなんだと思う。
昔の人には、人のつながりがある。
これは、今の人、そして、障害のある次男にも必要なこと。
なんだか、ちょっとさびしく感じるけど、
でも、大事な未来の姿。



母のすぐ下の弟(私からみたKおじ)は、
私が小学校の時の担任の先生の娘さんと結婚した。

私が色々と心配をかける子どもだったそうで、
先生に相談しているうちに
しっかりした娘さんがいる、と母が目をつけ?!
お見合い、結婚となった。

「今の私がここにいるのは、ねーちゃんとあなたのおかげなんよ」
そう言われた。
でも、おじおばの結婚生活も、途中息切れするとこも。

「もう別れる、って。もうのどまで出そうな状態で
あなたの家に行ったの。子どもたちをつれて。
でも、そのとき、ねーちゃん(私の母)が
弟が悪い、弟が悪いって言ってくれて。
もっと家庭的と思っていたのにって。
それで、ねーちゃんがわかってくれたっておもって
思いとどまったの。」

「かといって、私が父の愚痴を言っていたら、
『○○先生は私好きやけん、悪くいわんで~』って言って。そんなお母さんやったよ。
父(○○先生)もだいぶアルツハイマーが進んで、
もうあんまり覚えることが難しくなっているんだけど、
昔の生徒とかは覚えているみたい。
ねーちゃんのことも、覚えてて
ピカイチの保護者やったよ~って言ってるの。」


○○先生に受け持ってもらったのは、
小学校1年生の時。
あれから、月日は流れ
私が保護者といわれる立場になった。
私は母のような「保護者」になれているかな?
まあ、母と私は違う人間だから、
どうなんでしょう。



母と言いつつ、
一人の人間であり
一人の女性でもあった。

たくさんの面があって、
それぞれを
一生懸命に生きた
人生だったと思う。


私だったら、
こんなにちゃんとできただろうか??
そう思う時がある。