今日子どもの学校の行事で、
保護者で集まって、一台の車に乗せてもらって出かけた。
行事は無事終わり、帰っている時。
街中だったのでとても渋滞した、。
「今日競艇があっているんだったら渋滞するよね」
一人の保護者がそう言った。
その言葉に、一瞬にして、父のことを思い出した。
父は競艇が大好きだった。
実家のすぐ近くに競艇場があったこと。
父が生前「全国の競艇場に行きたい」と言っていたこと。
何百円単位からかけることができるので、少ないお金で多く当たるのが楽しと言っていたこと。
父が競艇にはまった理由は、最初私の弟が行っていてそれで楽しさを教えてもらって以来ということ。
競艇は意外とデータ勝負なところがあるので、それさえ読めれば当たりやすい、しかも大穴が出やすいとのことl。
色々思い出していたら、ある夏祭りを思い出した。
「競艇場である花火がすごいから、一緒に見にこい」
そう言われ、私と長男と次男を連れて実家近くの競艇場に行った。
レースはもうあっていなくて、
敷地内がお祭り会場になっていた、。
音楽に合わせて上がる花火。
とってもエンターテイメントって感じ。
また、無料でできるヨーヨー釣りや、ポップコーン、などなど、夏祭りの定番が勢ぞろいl。
とても人出が多かった。
なかでも、人気だったのが、浅くて広いプールに、小さな一人乗り用の白鳥ボートがあり、
それに乗ってスイスイ漕ぐもので、
長男も次男もそれに乗った。
当時、多動がまだひどい次男だったが、なぜか私の父の前ではおとなしい子だった。
ピンっと敬礼でもするかのように、緊張していた。
3歳くらいだったのかな?
人を識別することができるんだ~そう思ったものだった。
この人の前ではちゃんとしてないと、そう考えているようだ。
その、子どもたちに人気の水の遊び、
「○○~、○○~」
父が次男の名前を呼ぶ声。
こっちをみろ~と父が次男に言っている。
ちょうどその動画がある。
私の父や母は、次男の障がいが分かった時、わりとすんなり受け入れてくれた。
父は、そうやって、色々なところに連れまわしてくれた。
多動なので、私は次男と一緒に出かけるのが嫌だった。
もう移動の基本は全力疾走なので、
どこに行くかわからず、車道に飛び出たらどうしよう?とハラハラするようなこだったから。
でも父と一緒だと、ゆっくり歩いて、時には手をつながせたりして、
おりこうさんにしていたから、外出は大丈夫だった。
母は、パート先に障がいのある人が研修等できた時、
次男に対して使っている言葉や、手順、視覚的に分かりやすい置き方をする、などをしていた。
次男にとっていいことは、みんなにとってもいいことだから、
これを教えてくれた。
当時の同じように子どもが自閉症と言われた友達のなかには、
実家のお父さんから「近所の人に障害があると知られたら困るからあまりであるくな」と言われたこともある人もいた。彼女も辛い経験をしたんだな、と思う。
どうか、あれから彼女が、お父さんとよい関係を築けていたらいいな、と願うばかりである、。
父や母が受け入れてくれたから、私は嬉しかったし、
私も次男のことを受け入れることができた。
その気持ちをしっかり受け継いで、今毎日次男と長男との生活を楽しんでいる。
次男が4才の時、父が手術した。
手術当日、次男は園を休ませて、手術の立ち会いに一緒にこらせていた。
夫が午後休暇を取ってくれて、午後からはバトンタッチし、次男は家に帰ったが。
父の手術は6時間くらいかかったので。
手術室に入る父を、私と次男と私の弟が見送った。
ベットごと移動する父。
前段階の麻酔をしていたのか、朦朧としていた。
扉が閉まって、父の姿が見えなくなった時、
私はハッと気付いた。
次男が涙をはらはらと流していることに。
言葉をあまりしゃべれない子だったから、
ついついなにも分からない子なのかな、と思っていたが
ちゃんと感じとっていたのだ。
なにか、普通でないことが起こるということを。
谷川俊太郎さんの詩「信じる」にこう書いてある。
地雷をふんで 足をなくした
子どもの写真 目をそらさずに
黙って涙を 流したあなた
そんなあなたを 私は信じる
父はよく次男についてこう言っていた
「○○の目はしっかりしている。
だから、きっと将来は大丈夫だ。
目の輝きが違う」
そんな次男の目から、流れた涙。
そこには、次男の感情があふれていた。
いつもしゃべらない次男が見せた、感情。
父の手術は無事終わり、
その後ガンが転移していることがわかり
抗がん剤治療を3カ月ほどしていた。
それから退院し、約一年間自宅で過ごした後、自宅で亡くなった。
父は、本当に次男を可愛がってくれた。
私よりもじゃないかな。
本当にありがとう。
次男を信じることを教えてくれて
ありがとう。