免許とりたての18歳の頃、

家の車庫で車をぶつけたことがあった。

 

車の傷をみて、母はため息をついた。

いつもだったら、色々言うところ、何も言われなかった。

それも辛いな~と思いつつ、

車の修理にかなりお金がかかることがわかった。


 

この事故?!は、

私がちゃと後ろを確認せずに

バックで車庫に入れようとして、

右側面を壁にガリガリとさせてしまったのだ、。

だから、私の不注意が原因。

(不注意なのは、昔からなのだ(^_^;))


 

で、車の修理代をどうするか、ということになって

同居していた祖母が「私が出してあげる」

といってくれた。

母と祖母で話をしたのだろう。


 

私は、

今考えれば、本当に何の苦労もせずに育ってしまったんだな~と思う。

あまちゃんだったな~と。


 

祖母は、父の母だったので、

母とよく対立していた。

 

私は幼稚園の頃はおばあちゃん子だった。

家族は二階で寝ていたが、

私と祖母は一階の祖母の部屋で寝た。

たまに祖母が旅行すると、

私は上の部屋で寝ることがあったが

「おばあちゃんがいない」と泣きながら寝たことがあった。

 

毎日一階で寝るのに、

祖母がいるからさみしくないと思っていたが、

でも私だけあの家族の一員ではない、

という感覚が昔からあった。



 

ある年齢までになると、

私は母親の味方になることが多くなった。

すると、手のひらを返したように、

祖母は私に冷たくあたるようになった。


 

思春期も手伝って、

父、祖母が大嫌い、そう思った。

なにより、母を攻撃?!する二人だったから。




 

それなのに、

私が本当に困った時。

祖母が助けてくれた。

 

なんでこのことを今まで忘れていたんだろう。


 

祖母は、夫を戦争が終わってすぐに亡くした。

戦死ではなかったので、色々と苦労したようだ。

女手一つで、私の父と父の妹(叔母)を働きながら育てた。

頑張った人生だと思う。

私が長男を産む時(15年前)、祖父の50回忌の法要をした。

自分の親の50回忌をするというのも

なかなかないことかも。

父も苦労をたくさんした人だった。


 

祖父祖母がいなかったら、父と叔母がいなかったし

父がいなかったら、私がいなかった。

やっぱりありがとう、しかない。



 

9年前、父が入院した病院が近かったので、

私がお世話に行っていた。

祖母は「あんた、いつも世話になってありがとうね」

と言った。

 

言われた時、私は素直に受取れなかったが

今なら受け取れる。

「母さんが病気していて父さんの世話ができないし、

父さんのため、ばあちゃんのために

当たり前のことをしてるだけだよ。

でも、そう言ってもらうと、嬉しいな。

ありがとう」



 

祖母は目もよくて、まだまだ元気。

元気に長生きしてください。