以前、自分が好きなことや楽しく感じることをやる方が道が開けるという話をする人生論みたいな話があって、そうなのかな?と思っていました。

ただ、それはその道へ進むと苦労や努力も楽しく感じるということをやっていくという意味で、単にエピクロス派の快楽論のように安楽な生活を送るというのとは違う意味だと捉えています。

他人は自分ではないから、安易にやりやすい一般的に楽な方向を勧めるわけではありますが、あくまでも一般論です。

その人の人生の中に当てはまるのであれば、それが良いし、その人の主観でもそれが楽しくやれる道なら、それで良いのです。

その人の主観でどう感じるか?
もし、他人の主観では楽な方向性でも逆に苦痛なら、それは間違いでしょう。

その人が努力や苦労や困難なことを楽しく感じる道でなければ、それは間違いだと思います。

個性によって何が辛いか何が楽しいかは違いがあるし、それは他人では分からないのです。

そして、何が本当は好きかも大切ですが、それが趣味なのか?食べる手段なのか?も重要です。

まして世間体のためだけに、不本意な生活を選ぶのは間違いです。

周囲の人は、その人が何かに打ち込んでいたり、しようとしていた場合には、じっくりと見守ることも大切なのではないかと思います。

そして本人は、世間体や恥ずかしいと思う気持ちは捨てて、自分のやるべきことをとことんやることだと思います。

答えは自分で動きながら探していくしかないのです。
結局、動いてみないと自分の望みや本意もよく分からないからです。

…という目で自分も他人を見たり
…自分自身を成長させようと頑張ります。