ローワー曰く、ヨーロッパ中世の民衆文化という説明をする場合に、当時の文化状況を説明するために「民衆」は十分に使える用語ではないという。

 それをローワーの主要研究まとめから見ていきたい。

 

 民衆という用語について、当時の言葉の定義と今の言葉の定義を混同する危険性についても言及している。カロリング朝時代には、文化はラテン語に関する識字文化と非識字文化という文化構造だった。貴族にも非識字文化に属する者も多く、たとえ文字が扱えても、書き言葉に俗語を使う場合には、非識字文化に属した。

 

 Savant =「知識人の」というよりは、ラテン語が使えるかどうかが文化上の分類基準であった。

 

 ローワーは、教会(もしくは聖職者)文化と民俗文化という文化分類を推奨している。何故ならば、民俗文化にはラテン語文化以外の騎士や貴族も含めることができるからである。民俗文化には教会文化を含まない。

 

 また、迷信や異教という用語を用いるのも不適切である。

 宗教は文化に含まれる一つの要素である。

 だとすれば、一連の信仰の態度や行為そのものを表すこれらの用語では文化の分類をするには不十分な用語となる。

 

 民俗文化は色々な要素とオーバーラップしている。

 キリスト教化とは、民俗文化が教会の規範に適応していく過程だとローワーは捉えているからである。

 

 ローワーは、教会文化を信仰を行為の枠組みと捉えていたとする。それに対して、民俗文化は独自の内的なロジックを持った心的な枠組みとする。

 

 キリスト教化とは、最終的に民俗文化の構造の中に、キリスト教が組み込まれていくこととしている。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ここまでのところで

 複雑な議論と思えるが、実際には今までの議論の用語をまとめて解説してその性質を説明している。

 言葉の定義をその時代の文化の実態に合わせた定義をしていかないといけないということ。

 民衆という概念は近代以降の階級闘争の用語であって、少なくとも中世にそのような身分階級は存在していないのである。

 

 しかし、私は階級闘争ともかけ離れたpopular の定義を考えても良いだろうか、と思案もしている。

 

 *ローワーの論については、ノートはすでにまとめてあるので、できるだけ早く全部論の解説をアップします。