2021/08/15
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蒼い空
白い雲
蝉の声
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嫌いなもの
みっつ
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地球が怒り
嫌いなもの…みっつが無い
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76回目の終戦記念日
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横浜山手の空
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父は大正末期に山形県左沢駅前
理髪店…六男二女の五男に産まれた
産後の肥立が悪く亡くなる女性も多い時代
父の産みの母も
既に三人目の後妻だった
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そして産みの母も亡くなり四人目の
継母に育てられるが子沢山に加え理髪店の
弟子達の世話もあり
父は小学校入学を契機に
横浜に嫁いでいた長女の元で暮らす事になった
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太平洋戦争末期
父にも赤紙が(招集令状)来た
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故郷…山形での徴兵検査も無事に済み
腕枕をしながら昼寝を決め込んでいた父は…
安堵感からか油断をしていた
それは既に…体に絵が彫られていたのだ
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その姿を見つけた父親は殴りつけようと構えた
父は…今日が最後の日かもしれない…と
薄目を開け殴られるのも親孝行と考え
拳を待っていた
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その時…制止したのが
生さぬ仲の四番目の母だった
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母の最後の日
父は…遺言を受ける
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私が亡くなったら箪笥の一番下の
引き出しを開けなさい…と
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継母の葬儀の日…遺言通りに
引き出しを開けた
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するとその引き出しには
溢れる程の胡桃の実が入っていた
それは…火葬の時間を短縮する為だった
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父は…初めて
おふくろ…と…
呼んだ
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あたしは…父の遺言を受け
山形の本家に父の意思を伝えた
所が意に反し
分家した身…生前は迷惑もかけられた
との返答だった
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父が景気の良い時には本家に散々
それなりの散財をしてきた筈なのに
あたしは…唇を噛みながら
屈辱に耐えた
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その後…父には詳しい話をする事は無く
あたしは…
上等…受けてたとう…と
闘志が湧いた
そして…あたし流に事を運んだ
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昭和54年8月15日
34回目の終戦記念日
父は…磯子の病院に入院した
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そして…その三ヶ月後…没
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昭和54年11月15日
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靴の番号札15番
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終戦記念日の8月15日
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丸清一家では…
湯呑みに日本酒を注ぎ
木の腕にスイトンを盛り
親父自ら…振る舞う
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🔷All of you🔷
時に
自然は
人に
脅威を与え
奢り高ぶる行為を戒め
災害の狭間に生きていると言う
現実を見せつける
♡
終戦記念日
♡
生きて
生きて
生き抜く
♡
とうこは…心新たに
生きる
♡
《感謝》
♡とうこ♡
あっ🤭だいすきな人
生存確認ライン
お願い
ヨ
♡