突然ですが、皆さんは倭姫命(やまとひめのみこと)という御存在を知っていらっしゃいますか??


「皇大神宮奉祀」矢沢弦月 神宮徴古館蔵


今回は、神宮の創祀に関わったキーパーソンである倭姫命についてご紹介したいと思います!💁‍♂️


まず、神宮が鎮座した経緯を少しお話ししましょう🤓

神宮の御祭神である天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降臨される際、天照大御神と思って祀るように鏡を授けられました🪞

以来、その鏡は天皇が過ごす皇居で祀られてきました。

しかし、第10代崇神天皇の御代になるとその鏡を皇居の外でお祀りすることとなります。

崇神天皇は、鏡(=天照大御神)と同じ御殿で生活することを畏れ多いと考えたのです。

そこで、自身の皇女である豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に鏡を託し、大和国(奈良県)の笠縫邑(かさぬいのむら)でお祀りしました。



上の写真は、天照大御神を最初にお祀りした笠縫邑に鎮座する大神神社(奈良県桜井市)の摂社・檜原神社(ひばらじんじゃ)です⛩


その後、より良い場所を求めて各地を巡りました。第11代垂仁天皇の御代になると、垂仁天皇の皇女である倭姫命が引き継ぐことになりました。

ここで、倭姫命登場です!!

倭姫命は大和国から伊賀国(三重県)、近江国(滋賀県)、美濃国(岐阜県)などを経て伊勢の地に辿り着きました。

伊勢の地に辿り着いた際、天照大御神から御神託が下りました。


是の神風の伊勢国は、常世之浪重浪帰(とこよのなみのしきなみよ)する国なり。傍国可怜国(かたくにのうましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ。

海の彼方の国からの波が返す返す寄せる場所で、都の傍にある国だが素晴らしい国である。この国に居ようと思う


こうして、天照大御神が永遠に鎮まる場所として神宮が鎮座したのです✨



上の地図は、倭姫命が巡幸した場所です。

①が笠縫邑(檜原神社)で、⑮が現在の皇大神宮の鎮座地です。


文献によって多少の違いがあり、神宮では『日本書紀』と『皇太神宮儀式帳』の記述を基本としています。

各々の巡幸地は、伊勢に先駆けて天照大御神をお祀りしたことから元伊勢(もといせ)と呼ばれています。

因みに、『皇太神宮儀式帳』とは平安時代の延暦23年(804)に神宮から朝廷へと上程した書物で、神宮の由来や当時の祭典の時代などが記されています。


つまり、倭姫命は天照大御神を伊勢へとお連れして神宮創祀に貢献した、たいへん重要なお方なのです!!

また、倭姫命はその後も神宮にお供えするものを生産する土地や祭祀、経済基盤、組織など神宮の基礎を定められました!


このような大きな功績を讃えて、大正12年(1923)に皇大神宮別宮として倭姫宮が御鎮座されました✨

そして!!

本日11月5日は倭姫宮が御鎮座から100年を迎えました!㊗️


次回は、倭姫命をお祀りする倭姫宮について詳しくご紹介しようと思います!

楽しみにお待ちください!😊