私は以前、石川事務所で秘書の肩書きをいただき、活動していた。
実際には石川事務所の資金を提供し、スポンサーと秘書を兼ねた石川被告にとって都合のいい存在であった。
もちろん私の秘書としての給与もなければ、活動費も全てなく、自費である。
政権交代をすれば日本が良くなると信じ活動していたわけであるが、これは大変な間違いであった。
民主党とは、今思えば能力もなく、言っていることは何も実行しない”政権詐欺”だった感じがします。
そんな中、平成21年9月に政権が代わり、1年以上が過ぎ、国民も民主党がどのようなものであるか次第に分かってきた感じがします。
以前鈴木宗男先生が、石川被告にこんなことを言っていました。
「石川君、十勝より2人の代議士が出ることはいいことだ。どちらが比例選出で、どちらが小選挙選出でもいいではないか。」
これは、故中川氏との選挙においてのアドバイスであるが、石川被告は平成21年9月に石川被告が当選した後も、故中川後援会に対し、石川事務所への鞍替え、引き抜きを止めなかった。
その結果、帯広のM建設、十勝の農協Aさん等の故中川氏の有力メンバーが石川事務所へ寝返った。
まったくえげつない話である。
平成21年9月15日、石川被告が故中川後援会の幹部の親類Bさんと、結婚を前提とした見合いをすることとなり、当時付き合っていた札幌のC子さんに一方的にメールのみで別れを通告した。
C子さんは、石川被告が西松事件の時、身も心もケアして支えた存在である。
それが一方的に石川被告により、用済みと言われたわけである。
石川被告は人間の感情を持っていない。
常に人を道具として使い、自分にとって用がなくなれば捨てていく。
故中川後援会の引き抜きも同じである。
鈴木宗男先生が止めておけと言ったにもかかわらず、石川被告の地位を固める為に、選挙後もアプローチをかけた。
このような事実を、故中川昭一先生はどう思っていたのだろうか?
平成21年10月4日、中川先生はこの世を去った。
私は今後、姿かたちを変えて、故中川先生の無念を晴らす人が出てくると思っている。
今、「日本があぶない」である。
私は今後も、石川被告の真実を語っていく。
せめてものお詫びである。