みす しんたろう〔三栖 慎太郎〕の『みんなの政治』ブログ -37ページ目

お客様と共に生きる

岩出市政治勉強中の みす しんたろう三栖 慎太郎)41歳です。

元広告代理店社員さんから
私に投票してくださった方々は「お客様」
というコメントを頂戴しました。
※いつも勇気づけていただいてます!
仲間がついてるってコメントをいただいたときは
泣きそうになりました。。。

「お客様」
ホテルで働いていた頃は
本当に毎日、お客様に喜んでいただく事だけを
考えて働いていました。

お名前を覚え、好みを調べ、誕生日や記念日も
片っ端から手帳に書いて。

いろんな事を一生懸命していましたが
これ全て、お客様と心を通わせるためです。
今考えると。。。

そばにいるだけで、その方の心の微妙な動きがわかる
そんなところを目指していたんだと思います。

ただ、これから私が尽くす仕事と、ホテル時代の仕事には
圧倒的な違いがあります。
それは、こちらから話しかけていかないと、こちらから会いに行かないと、
お客様側からやってきてくれない、という点でしょうか。

ホテルは、ホテルが好きで、ホテルを楽しもうというお客様が
お客様の側からやってきてくれます。

でも政治は違います。
投票率にも表れているように、こちらから積極的に
アプローチしていかないと、お会いする事もかないません。

いくら頑張っても、会えない方、お話ができない方と
心を通わせるのはむずかしい。

とにかくたくさんの人に会い、お話を伺い、お客様の心と
自分の心を結ぶ糸を見つけなければ。
どんな細い糸でもいい。絡まっていてもいい。
とにかく心のつながりを作らなくちゃ。

元広告代理店社員さんからコメントを頂戴するまでは
どちらかというと、ホテル屋時代の経験を活かせて
いなかったんですが

20年以上そればかりやってきた
人のために尽くす、人の笑顔を見るために
知恵を絞り、片時も気配りを絶やさない、
といった感覚が
すーっと、身体に、心に、蘇ってきたような気がします。

あとは、自分からみなさまにアプローチしていくだけ。

公僕。
やっぱりこの仕事、私に向いてると思います。

元広告代理店社員さん。
素敵なリマインド、ありがとうございます。

これからも、いろんなお話聴かせてください!

たくさんの人の意見を聞いて
みんなで一緒に考え
今、私にできることを、毎日休まず、少しずつ。

根来塗新年会にて

岩出市政治勉強中の みす しんたろう三栖 慎太郎)41歳です。

本日、根来塗曙山会の新年会に
出席させていただきました。

ソプラノ歌手・大西美帆さんの、
スレンダーな体からは想像もできない
迫力ある歌声を聴かせていただいたり

厳つい外見の奥に内包された
限りない優しさを詰め込んだ
児嶋伸司さん心の音(歌)を聴かせていただいたり

ご子息のとても立派なご挨拶に
どぎまぎされる曙山先生のキュートな姿を
見せていただいたりと

それはそれは楽しい充実した時間を過ごさせて
いただきました。

ひとつ
根来塗に益々惚れ込んでしまうような
素敵なお話を聞かせていただいたので少しご紹介を。

根来塗講座OBの方がご挨拶で話された内容です。

その方は講座で、根来塗のお椀を作られたそうです。

用に耐えたあるがままの姿が、
人為的なものにはない、自然の魅力を醸し出す。
それが根来塗の良さ。
というわけで

その方も、丹精込めて作られたお手製のお椀を
日々の食事で使っておられたそうです。

数年使い込んだある日、いつものように料理を盛りつけた
根来塗のお椀を何気なく手にされたその方。

思わず箸をとめ、盛られた料理を別の皿に移し

空になった根来塗のお椀を
矯めつ眇めつ眺めたそうです。

昨日までは、荒さの残る、確かに自分で作った
見覚えのあるお椀だったのですが

使い込む事により、塗膜がなじみ、漆独特の艶が目映い
紛れもない根来塗のお椀に変貌していたとのこと。

その時の、愛おしいそうな、その方の眼の輝き。
少年のようなピュアな笑顔。
とてもとても素敵でした。

さらにおっしゃいました。

この根来塗のお椀を、一生使い続けます。
根来塗は使い込めば使い込むほど
枯れた趣を楽しむ事ができるから。

食器を一生使い続けるなんて事が
普通ありますか?
根来塗のお椀は、用に耐えたその年月によって
趣を刻々と変化させ、その折々に楽しみを与えてくれるそうです。
漆が剥げたら塗り直すもよし。
摩滅した朱漆の下に浮かぶ、
黒漆の味わい深い文様を楽しむもよし。

大量生産大量消費、あらゆるもののライフサイクルが
短くなっている現代。
なんとも素敵なお話で、すごくすごく満たされた気持ちになりました。

英語で漆器がジャパンと呼ばれているように
漆器は、ヨーロッパ人を魅了した日本の宝物。
その日本の宝『漆器』のルーツ(近代漆器の)が根来塗。

なんとも誇らしい、ふるさと根来の、ふるさと岩出の宝物です。

今後の活動の一環として
根来塗、そして根来塗を生んだ根来を
もっともっと広く伝えていきたいと、燃えたぎる情熱がこみ上げてきた
根来塗曙山会 新年会でございました。

曙山先生、先生のお弟子さん達、会のみなさま、OBのみなさま
本当に本当にありがとうございました。
しっかり勉強しますので、今後とも色々ご指導くださいませ。

たくさんの人の意見を聞いて
みんなで一緒に考え
今、私にできることを、毎日休まず、少しずつ。

『1143』のご縁

岩出市政治勉強中の みす しんたろう(三栖 慎太郎)41歳です。

さて昨日のブログで
市議会議員選の結果を掲載させていただいたのですが

私の獲得票数=私の可能性にかけてくださった方の数は
1143』。

実はこの数字、私の生まれたふるさと「根来(ねごろ)」に
とてもご縁があるんです。

尊敬する根来塗の継承者
根来寺初代塗師『池ノ上曙山(いけのうえしょざん)』先生が
教えてくださったお話です。

根来にある『根来寺』は
覚鑁上人:かくばんしょうにん(興教大師)の開創になる真言密教
新義真言宗の総本山。

その根来寺を開かれた宗祖 覚鑁上人とのご縁なんです。

すごく分かりやすく
『覚鑁上人』『新義真言宗』『根来寺』を説明してくれているので
司馬遼太郎著:紀ノ川流域(街道をゆく)から
少し抜粋させていただきます。
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覚ばん(1095-1143)は、最澄や空海に次ぐ平安仏教史上の巨人で
ありながら、鎌倉仏教の法然、親鸞、日蓮、栄西、道元、一遍たちの
ような盛名をもっていない。第一、名が難しい。

覚ばんは空海がひらいた真言宗(密教)のはるかなのちの僧である。
宗祖の空海は「秘蔵宝やく」のなかで「菩提心とはとりもなおさず
密厳浄土のことだ」と説いたことがあるが、覚ばんはこれを発展させた
といってよく、この異説のためその49年の生涯は栄光に包まれつつも、
高野山などの「正統派」から攻撃にさらされつづけた。

いまでも「正統派」は、古義真言宗とよばれ、大学として高野山大学がある。
覚ばんを祖とする派は新義真言宗とよばれ、大学としては大正大学がある。
新義は、京都の智積院(ちしゃくいん、京都の根来寺と思えばよい)、
大和の長谷寺、関東の川崎大師や成田のお不動といった名刹肉山
(めいさつにくさん)を含んでいる。
しかし、川崎大師や成田のお不動にお参りする人々の何人が
宗祖が覚ばんであることを知っていようか?

覚ばんは、高野山で密教の研究と論議の機関である
「伝法会(でんぽうえ)」を再興。
覚ばんはこの伝法会で講義をし、かつ諸権威と討論したはずである。
この間、鳥羽上皇から経済的支援を受け、
常設の機関「大伝法院」を創設。
声望高い38歳の覚ばんが大伝法院の座主になった。
鳥羽上皇はさらに異例のことながら院宣(いんぜん)によって
かれを高野山(金剛峰寺)の座主にした。

短期間での異例の出世と、学問の深さと議論の鋭さと新思想のうちだしは、高野山の古い学侶や集徒の間に、反感を高まらせていった。

ついに1140年追われるように山をくだった。
そのまま根来に入り、以後、ここを法城としてかれの法義を宣布した。

覚ばんは、日蓮や親鸞のように、著作で反撃することもせず、
迫害に対しては無抵抗主義をとった。僅か49歳で没したこともあり、
彼に関する資料は少ない。
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と、
大変な方でらっしゃいますが、この覚鑁上人の没年にご注目ください。

そう。
1143。

私に期待をかけてくださった方の数と
奇しくも同じなのです。

根来を愛し、ふるさとのために身を尽くす覚悟の私を
支えてくださる方の数が、根来を開いた方とご縁のある数字。

曙山先生からお伺いしたとき
さぁっと鳥肌が立ちました。

ちなみに曙山先生は
覚鑁上人の命日
平成12年12月12日に初代根来寺塗師の「許」を得られた方。

曙山先生と巡り合わせていただいたご縁。
覚鑁上人にゆかりの数で一歩を踏み出させていただいたご縁。

ありがたいありがたいご縁に後押ししていただきながら
熱い気持ちを胸に
一歩を踏み出す今日この頃です。

合掌

たくさんの人の意見を聞いて
みんなで一緒に考え
今、私にできることを、毎日休まず、少しずつ。