リブログ記事網膜色素変性症、今の状態 ”群馬 太田記念病院 診断書”
カレンダー上では、今年も終わり。新しい年がもうすぐ始まりますね。でも、それは人間が決めたことで、宇宙レベルで考えるとほんの小さなことかな?で、俺の網膜色素変性症、現状を語ります。思えば遡る事約40年前の小学生の頃、”鳥目(夜盲症)”では?と気づいて、大学病院へ。診断は”夜盲症で視野が少し狭い。治療方無し、何れ失明の可能性あり”だった。小学生の俺にはかなり酷な診断だが、小学生の俺は開き直ったね。”目なんて怪我とかで失明する可能性だってあるじゃん。”それから、自動車、オートバイの免許を取って、それこそ日本中を走り回りました。最後に乗った自動車は2600ccのメルセデスベンツ。一番おっきなオートバイはヤマハの1200cc。夜盲症にはかなり苦労した。昨年の一月に視野がかなり狭いなあと自覚。網膜色素変性症という病名に行き着き、この病気に強い眼科を尋ねた。診断は”網膜色素変性症で視覚障害4級確実、もしかしたら3級かも?1、2級は運転免許取れないからね。”とのこと、やはり、小学生の頃から網膜色素変性症だったのか。じゃあ、障害者手帳をもらってみようと精密な検査をしてもらい出てきた診断書には”視野角10度未満、網膜損失率100%、高度に球芯的な網膜色素変性症で視覚障害2級相当”大事にしていた運転免許はもう紙くずか?でも、もう、ドキドキしながら自動者を運転する必要はない!と、また、開き直る。今年も同じ精密検査結果が下記の診断書なんだが、数値的には同じ。でも、気持ちのせいか、この約2年間で全く見えなくなったような気がする。白状が無いと外を歩くのは無理(視覚障害1,2級だと道路交通法で白状を持つのは必須)。信号機がすぐに見つからない、自動車の運転なんかもう無理。建物の入り口が見つからない・・・まあ、障害年金は出るし、税金の特別控除があるし、バスは子供料金だし・・・受けることが出来る恩恵を全て受けて、死ぬまで生きてやる!