12月14日(水) 曇り
毎週水曜日は仕事が休みですが、先週は都合でお休みした人のピンチヒッターで出勤したため、自転車で遠出はできませんでした。
今日は、昨日からの雨はあがりましたが、どんよりとした曇り空の一日でした。紅葉の季節も終わり、もう来週の土曜日にはクリスマスイブ、再来週の土曜日は大みそかです。
自転車でお出かけするには、寒くてそろそろ厳しくなってきましたが、先週走れなかった分、今日は遠出をしてみました。
今回は自宅の大阪市から、八尾市、羽曳野市、富田林市を経て河内長野市までつながる「南河内サイクルライン」を走ってきました。
http://www.pref.osaka.lg.jp/dorokankyo/osakabikeroad/minamikawaticyclelin.html
大和川は、奈良県~大阪府を流れ、大阪湾に注ぐ川で、大阪市の南の端を流れています。
自宅から大和川までは自転車で数分で、北側の堤防を西に走って行き、「大正橋」という橋を過ぎたところからが、「南河内サイクルライン」になります。
大和川の堤防北側(大阪市)
大正橋北詰
「南河内サイクルライン」 起点
大和川の堤防上の道を西に向かって走っていきます。
(八尾市→柏原市)
堤防上を走っていくと、近鉄道明寺線の踏切が見えてきます。
近鉄線の橋の上に、「柏原南口駅」があります。
柏原南口 駅入り口
駅のすぐ北側に、電車が走っているところを、真下から見ることのできる場所があります。
踏切を渡ると、右側に「新大和橋」
新大和橋を渡ります。
「新大和橋」を渡ると、「大和川の付替え」を解説した看板と石碑があります。
「大和川の付替え」は、大阪の小学生は社会の授業で学習します。今日も、どこかの小学生たちが、校外授業でこの看板の前に集まっていました。
川の「付替え」とは、川の流れを人工的に変える改修工事の事です。大和川は、江戸時代に大規模な「付替え」が行われました。
大和川の付替え
付替え以前の大和川はいくつかに分流しながら河内平野を北方に流れ、淀川と合流していました。天上川化が著しいため、流域は頻繁に洪水にみまわれていました。江戸時代に入ると、今米村(現、東大阪市)の庄屋中甚兵衛を中心とした農民たちが付け替えを幕府に何度も嘆願しました。しかし、付替え地流域の反対意見や、河村瑞賢による治水工事の進言もあって、一旦、天和3年(1683)に付替え不要が幕府で決定されました。
その後、付替え推進派のさらなる嘆願により、元禄16年(1703)10月付け替えが決定されました。工事は翌年2月には開始され、延べ245万人をかけ、わずか8ヶ月という短期間で宝永元年(1704)10月13日に竣工しました。このとき、落堀川の掘削や西除川の改流なども行われました。
付替えによって、旧川筋では鴻池新田など多くの新田が開発され、米作りや、綿花栽培などが盛んになりましたが、新川筋では、舟運の衰退、川床となった田地に関したトラブル、左岸の浸水被害、土砂流出による堺港の沖への移動などの弊害も生まれました。
https://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/about/yamato300/tukekae/tukekae.html
現在の大和側は、付替えにより流れを西に向け、直接、住吉・堺の海へ流れるようになっています。
「新大和橋」を渡って「付替えの看板」を左に曲がると、左側に大和川と石川の合流地点が見えます。
テニスコートの奥写真右側に「石川」、写真中央で「大和川」に合流しています。
そのまま進むと、Uターンして石川河川敷に降りる道に続きます。
「八尾河内長野自転車道」=「南河内サイクルライン」 看板
堤防から河川敷に降りていきます。
河川敷に、自転車道が続いています。
川にはちょっと大きめの鳥がいました。サギかな?写真を撮ろうとしてちょっと近づくと、すぐに逃げてしまいました。
飛んでいきました(拡大写真)
河川敷に入って、すぐにわかれ道があります。右に行くと、堤防に戻るので、左側に進んで、「石川河川敷公園」に入っていきます。
前に見える橋は「玉手橋」です。レトロな雰囲気のつり橋ですが、それもそのはず、昭和3年にかけられたつり橋だそうです。
玉手橋
河川敷公園内をしばらく走って、また堤防上に登っていきます。
堤防に沿って、桜並木が続きます。「石川桜つつみ」です。
「南河内サイクルライン」を示す地図が、所々に設置されています。
「石川桜つつみ」をしばらく走って、また河川敷に降りていく道に入ります。
河川敷に降りる手前、桜のトンネルがあります。
「石川桜つつみ」から桜のトンネル、春になればとてもきれいです。来年の春に、このブログで写真をアップしたいと思います。
河川敷に降りて、また走っていきます。
起点(大正橋)から、8.9㎞の標識。本当は、地図が描かれているのですが、消えてしまっています。
また堤防に登っていく分かれ道ですが、直進します。向こうには、公園が見えています。
ブランコなどの遊具がある公園ですが、ロープで規制されています。
そこには、「マムシに注意!!」の看板と、なんと、「イノシシ出没注意」の看板が!!
まさか大阪でイノシシが出没するとは!
舗装された自転車道なので、ついついスピードが出てしまいます。散歩している人もいますので、危険防止のため所々に車止めがあります。
起点より12.4㎞の標識です。うっすら地図が見えます。このあたりは、羽曳野市から富田林市に来ています。
河川敷から再び堤防に上がり、桜並木を走っていくと、前方に綺麗なつり橋が見えてきます。「石川サイクル橋」です。「南河内サイクルライン」のシンボルとも言える橋です。
石川サイクル橋
「石川サイクル橋」を渡ると、また河川敷に降りていきます。今までは「石川」の南側の河川敷を走っていましたが、ここからは北側の河川敷を走っていきます。
起点より14.5㎞の標識です。
PL教の「大平和祈念塔」(通称PLの塔)が見えます。富田林市には、PL教の教団本部があります。高校野球の「PL学園」や、「PL花火芸術」が有名ですね。
「南河内サイクルライン」の石川沿いを走るコースは、ここまでです。続きは、前方の川西大橋をわたり、一般道を走って河内長野まで続いていきます。この先には、「錦織公園」という大きな公園もあるのですが、またの機会に紹介することにして、今日は、ここまでで引きかえしました。
富田林市内、サイクルラインから少し外れたところに、「寺内町」(じないまち)というところがあります。「寺内町」とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことだそうです。
富田林寺内町は、現在でも江戸時代から昭和初期の町並み(町屋)が残り、大阪府で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
「日本の道100選」にも選ばれています。
帰り道、大和川の堤防上ですが、向こうに日本一の高層ビル、「あべのハルカス」が見えています。
今回は、「南河内サイクルライン」を走ってみました。途中までで引き返しましたが、温かくなったら、桜のトンネルや、さらに先にある錦織公園なども紹介したいと思います。
本日の走行距離50.24㎞、平均速度は15.40km/hrでした。
おわり。