父の具合が良くなく、そろそろお迎えが来そうな感じです。

忘れる前に少しでも父との思い出を残しておきたいと思い、書こうと思います。


私の父は仕事人間でした。

平日は朝5時に自宅を出て夜22時過ぎに帰ってくる人でした。

函館生まれ函館育ち、14人兄弟の14男!

見たことないけど、じいちゃんもばあちゃんも半端ないぜ(笑)

おかげで極貧生活、最終学歴は小卒です。

14まではじいちゃんが漁師だったので、その手伝いをして、15からは自動車整備工場で働き、18で青函連絡船に転職。

青函連絡船の廃止と同時に国鉄に移籍?し、東京へ。

国鉄時代は学歴の事でかなり嫌がらせをされたようで、それを見返す為に馬車馬のように仕事を頑張ったようで、最終的には東京駅のそれなりなお偉いさんまでなっていました。

私の記憶のある限りでは、ほとんど切符を買って電車に乗ったことがない(笑)

北海道に帰省する時も、なかなか取れない?北斗七星に乗り、なぜか車掌さんやらがお弁当やお酒を差し入れして貰っていました。

休みの日はたまーにキャッチボールをしてくれたり(笑)


野球はもちろん巨人ファン!

朝のニュースで巨人が負けたと知ると不機嫌モードでした(笑)

私も少し野球をやったのですが、あんまり好きになれず,,,

小学生の時は県大会ベスト4まで行って、3番ショートを守っていたのでそれなりでしたが、チームのピッチャーが良かったので基本的に便乗です(笑)


小学生の後半からは別の競技にはまり、大学を卒業するまでやらせて貰いました。

ずーっと特待でいけたので、学費はほとんどかかっていませんが、確か大学の寮費だけ取られたのかな,,,

中高生になると、試合を楽しみにしてくれて、試合のある土日は極力休みを取って応援しにきてくれるようになりました。

中学生の頃は私が試合中に不貞腐れたりするとがっつり怒られました。

完全に天狗になりきっていた時代でもあるので、当たり前ですね。

高校時代は流石に父に怒られる事はありませんでしたが(その代わり監督やコーチにボコボコにされていましたが(笑))

大学生になっても、次の試合はいつだ?と毎週聞かれました。


社会人で10年くらい働くとようやく、父親が50年近く働き続けた事に対して尊敬の念が生まれてきました。

子供が出来た今は、より一層尊敬しています。

まだ半分もいかない,,,先は長い(笑)


癌も3度煩いましたが、何とか完治。

趣味の畑を頑張り、何かが取れたらいつも母の手料理と父の作った野菜を送って貰えて今でも本当に助かっていた。

帰省すると、子供達はじいちゃんと野菜を取るのが楽しみで、帰省する前に電話で何が取れるー?と良く聞いていました。


ところが数年前から、透析が必要になり、一気に足腰にきました。

それでも今年に入るまでは何とか頑張っていたのですが,,,

肋骨を折って入院し、肺炎を煩い、お風呂で意識を失ったりと続いていました。


先週にそろそろ危ないと連絡を貰い、今日帰省してきました。

意識はなく、ずーっと寝ている状態。

肺炎には抗生物質では効かず、別の薬を投与しつつ、何とか安定しているが目覚めないという状態のようでした。

10日ほど食事も取れておらず、私から見てもそろそろなのかなぁと感じました。


そんな父との思い出は沢山ありますが、

・キャッチボール

・ヤマメ釣り

・自宅でのレスリング

・母に内緒で良く行った回転寿司(笑)

・アキレス腱を切った時に、仕事を休んで急いで助けに来てくれたこと


他にもあるんだろうけどなぁ,,,

思い出したら追記しよう!


ありがとう、お父さん。

お父さん、もう一度話をしたいな。