以前、十年以上前、燐光群の坂出洋二さんの洋二の兄貴の芝居を観に行った。

屋根裏』

色々な話題を盛り込んだ芝居だった、が…。最後に思った事は、

『結局何が言いたかったのか?』

という疑問だった。

芝居を見終わった最後、感想を書く用紙があったので、二十分ほど考え、『荘子』のある一説の言葉を書いて提出した。十年後、僕の意図が伝わり、連絡を取り合うようになった。

 

少し話を替えるが、今日、久しぶりに映画を観に行った。『北の桜守』(監督・滝田洋二郎さんの洋二の兄貴)。

これも、色々な話題を盛り込んだり、手法を提示していたが…。

結局、最後に思った事は、

『この映画で、何を伝えたかったか?』

と言う事だ。

もしかしたら、当時の洋二の兄貴も、今日の滝田監督も、

『どうしてもこれだけは伝えたい!』

という想いを昇華させていなかったのではないか、と感じました。

 

ある程度知識を得ると、その知識を整理仕切ればいいのですが、整理しない前に作品として披露すると、中には、違和感として作品に触れた人に残ってしまう、違和感だけが形として残る場合もあるのではないか、

そう思いました。

 

洋二の兄貴とは、スタンスは近いので、話せば解る。

その事で僕は何が言いたかったか?

作品として世に出すならば、ある程度

「can be simple is the best」(シンプルに出来る事がベスト)

をしてからの方が、多くの人に受け入れて貰えるのではないか、そう思うんです。