白坂です、

 

使命は誰を幸せにしたいか?

使命とは、
「生きる【目的】」。

別に、
目的がなくても生きることは可能です。

・最低限の着る服があって、
・お腹を満たせるだけの食べ物があって
・安全に寝れる住居があれば、

たとえ、使命(生きる目的)がなくても、
生きていける。長生きも可能。

では、
「使命というのは何のために必要か?」
と言えば、やはり


成長のため


だと言えます。

人は目的がないとダラダラします。
手を抜きます。サボります。
楽な方・楽な方へ流され続けます。

そして、
「なぜ、やれなかったのか?」に
関する言い訳の達人になります。

使命がなくても生きてはいける。
ただ、何の生きる目的もなければ
文字通り無意味な人生になる。

だから、
使命を考える。一生懸命に考える。
食べて・寝て、、、の人生に
何か意味を見出そうとする。

では、
どうやったら使命を見い出せるのか?
生きる目的に気づけるのか?

残念ながら、

>「自分は何が好きなんだろうか?」とか、
>「自分は何がやりたいんだろうか?」など、

自分の『好きなこと』や『やりたいこと』から
発想している間は、


使命を見出すことが出来ません。

なぜなら、
使命とは、「好きなこと」「やりたいこと」ではなく、
【目的】だから、です。

つまり、
【目的】である以上、


【目的語】が必要です。


すなわち、


【誰を?】


「私は一生を通じて【誰を】幸せにしたいのか?」
という問いへの答えが、使命です。
生きる目的です。

そして、
その【誰を?】への答えは、
大抵、苦痛体験からもたらされます。

なぜなら、
1度は「幸せにしたい」と思った相手を
自分の未熟さ故に幸せに出来なかった、、、
という体験が、


次こそは、【この人】を幸せにしたい


という強い『想い』へと
繋がっていくから、です。

・1度、挑戦した

・失敗し・挫折して・苦痛を感じた

・次こそは必ず、、、という『想い』こそが、


「私は、【この人】を幸せにしたい


という使命(生きる目的)に繋がって行く。

だから使命ありきではない。
あくまで挑戦ありき。
体験ありき。

使命があるから行動できるのではなく、
行動し続けるうちに見出せるのが使命。

そして、
使命があるから上手く行くわけでもない。

何の使命がなくても、
たまたま偶然、流行に上手く乗っただけで
上手く行くこともあれば、

どれだけ真面目に一生懸命に
使命のためと思って取り組んでいたとしても、
社会の不確実性の前に、全く上手く行かない
こともある。

使命とは、
見出しさえすれば上手く行くというような
魔法の杖ではない。そんな有難いものではない。

では、
使命とは何なのか?
簡単です。


何度も・何度も立ち上がる力になる


挑戦していれば上手く行くことばかりでない。
むしろ、上手く行くことは稀。大抵は上手く行かない。
失敗する。

その時に、
「何のため?」というのが何もなければ、
最初の1回目の失敗で簡単に諦めてしまう。

>『「何を?」が間違っていた」とか、
>「『どのように?』が間違っていた」とか、、、
極めて短絡的に考えて、だから、やることや
やり方を変えようとしてしまう。変え続けようとしてしまう。

しかし、

もし「何のため?」という目的が明確であれば、
1度や2度の失敗では諦めない。めげない。
極論、上手く行くまで何度でも立ち上がるための
原動力になる。

使命は、
「自分が何が好きなのか?」「何がやりたいのか?」と
自分から物事を見続けているうちは永久に見出せない。


「【誰を】幸せにしたいのか?」


という相手が明確になってこそ見出せるもの。
それが使命。生きる目的。

その人のために生きる。
その時・その瞬間の自分の最善で
その人のために全力で生きる。

使命さえあれば、
毎回・毎回で上手く行くわけではない。
百発百中はサーカス。現実にはあり得ない。
たとえ使命が明確でも失敗する時は失敗する。

しかし、
もし幸せにしたい対象が明確であれば、
たとえ上手く行かなくても諦めない。
上手く行かなければ、


上手く行くまで挑戦し続けられる


使命(生きる目的)を原動力に、
途中どんなことがあっても、
上手く行くまで挑戦し続けていれば、
最終的に使命を全う出来ます。

すなわち、
本当に幸せにしたかった人を


幸せに出来ています

 

使命は誰を幸せにしたいか?

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎