白坂です、

同じ日本といえども、
鹿児島と東京では、やはり、
かなり違うと感じています。

鹿児島にも一部、教育熱心な富裕層の家庭はいました。
ただ、やはり割合としても実際の世帯数としても、
少ないというのが現実。

一方、
東京だと、教育熱心な富裕層は珍しくありません。
幼稚園からインターナショナルスクールに通わせ、
小1から進学塾に通わせる親も多い。

親自身が教育の重要性を十分に理解しているからこそ、
経済的にも恵まれ、だからこそ、子どもにも最善の
教育環境を提供しようとしているのだと感じています。

ただ、
人は、熱心であれば・あるほど、目の前や手段に
捉われがちになるという傾向があります。

・「どのインターがいいのか?」
・「何才からがいいのか?」
・「どのタイミングで習い事から進学塾への切り替えがいいのか?」、、、

などは全て手段です。
目的ではありません。目的は、


出口


「子どもが18才の時点で、どのような人間として
自立していって欲しいのか?」というゴールこそが重要。
そして、ゴールは、


子どもの個性や才能ごとに違ってくる


親が最も注目しなければならないのは、
学校や塾ではなく、本人の個性や才能。

たとえば、
・みんなと一緒だと集中できるタイプなのか?
・1人っきりの時間だと集中できるタイプなのか?

・何かを新しく創る時に集中できるタイプなのか?
・既成のものをより改善していく時に集中できるタイプなのか?、、、

当然、
子どもも1人・1人違います。
だから全てのの子どもにとってベストの学校は存在していません。
もちろん、全ての子どもにとって最善の塾も存在していません。

ゆえに、
・ある子には塾は必要なく、
・ある子には塾は必須、、、

ということも当然あります。
親が子どもを注意深く観察していれば、
子どもがどんな時に時間を忘れて集中しているかは、
自然と見えてきます。

ただ、
もし親が子どもの才能に100%の確信を持てない場合、
いつの時代も、


受験は1つの有力な選択肢


です。

【中学校→ 高校→ 大学】

この3つの中で、日本で最大の課題は、大学。
大学は、あまりに堕落した雰囲気にて、
通う意味がほとんどありません。

医者になるための医学部のように
ハッキリとした目的がない場合は、
大学は必ずしも卒業しなければならない環境とは
言えないでしょう。

ただ、
大学そのもにには、
ほとんど意味がなかったとしても、


一流大学に合格するための【学力】は一生の財産になる


今から19年前の2002年からの「ゆとり教育」が
日本の国力を大きく低下させた最大原因です。

1945年以降の団塊世代が、「ジャパン アズ ナンバーワン」の
日本を創っていたのは、とにかく頑張るのが当たり前の世代だったから。
戦後の焼け野原で生きていくのが必死な状況の中で、同級生は多い。
猛烈に勉強し、猛烈に努力し、猛烈に仕事をしていた。

全世界、特にアジアから、
>「日本人は真面目で勤勉だ」、、、というイメージを
創ってくれたのは団塊世代のお陰だと言えます。

しかし、
今の日本は、全世界の中で最も努力をしている民族とは
決して言えません。中国・インドの子どもたちの方が
圧倒的に勉強しています。努力しています。


>「自分の子どもは何に才能があるのか、、、」


もしも確信が持てないのであれば、
受験勉強はいつの時代も有力な選択肢の1つ。

・いい中学校を目指して、
・いい高校を目指して、
・いい大学を目指して、、、

懸命に努力して、実際に身に付けることが出来た
学力は、子どもにとって、その後一生の財産となります。
大学はともかく、


大学に合格することが出来た学力は
子どもの一生の財産になる


たとえば、
・文章を読み力
・数字を読む力
・文章と数字を使って物事を考える力、、、

こういう力はいわゆる「地頭」と呼ばれる力です。
「地頭」が良いと、長文が出てきたり、統計が出てきたり、
数式が出てきたときも、その場に踏み留まれます。
何とか理解しようと努力できます。


起業や経営のレベルが上がり続けている


いわゆる勉強エリート達の大学進学先は、
時代とともに変わり続けています。

なぜなら、
彼ら・彼女たちは賢いので、最もお金が集まっている道に
進もうとするからです。

・戦後のエリートは、大企業や官僚を目指し、
・20世紀後半のエリートは、医師を目指し、
・21世紀のエリートは、起業するようになっている、、、

過去の先輩経営者達の話が、半分は参考になっても
半分は参考にならないのは、やはり時代が変化しているから。

かつては、
大学を卒業しないで起業したのは、大企業に就職しなかった
当時の社会の常識路線から外れた人たちでした。だから、
地頭よりも人間性や人間関係の構築力があれば成功も可能でした。

今、起業しているのは勉強面で最も優秀な人たち。
大企業や医師ではなく、敢えて起業を選ぶ人たち。

であれば、単に人間性が優れているとか、人間関係の構築力が
あるというだけでは、たとえ一時的に生計は立てられたとしても、
成功は難しい。


猛烈に勉強し・猛烈に努力し・猛烈に仕事するのが大前提になっている


10代のうちに何らかの分野で1位を体験し、
何らかの成功体験を持っていないと、起業して
成功するのは、かなり難しい。


起業や経営のレベルが上がり続けている


子どもが、勉強以外のスポーツや芸術、、、など何らかに
かなりの集中力を持って取り組めて、才能の片鱗を見せている
のであれば、それを大事にしてあげるのは、確かに有力な選択肢。

であれば、
その才能を大事にしてあげて、伸ばす環境を与えてあげるのが
最善。弱みを無視して、強みに集中させる。

ただ、
もし、子どもにハッキリとした才能を見出してあげることが
出来ていない場合は、


一流大学に合格するための【学力】は一生の財産になる


現実的に、
「一流大学に合格できた場合」と、「そうでない場合」の
生涯賃金は、1億円以上は変わってきます。

道徳的な善悪はともかく現実的には、子どもへの教育投資は、
子どもの人生にとって、最も「投資 対 効果」が大きい。

とにかく、
日本の教育は、「ゆとり教育」が実践されてから、明らかに
全体の学力が低下しました。本当の意味での「ゆとり」を持つのは、
死後で良いです。生きている間は、


限界を超えて頑張る


子どもは親の背中を見て育つ、が事実。
親が頑張っていないのに、子供だけに頑張らせるのは
不可能ですし理不尽。

子どもが10代のうちに、
子どもの一生の9割が決まるとしたら、、、
あくまで親自身が懸命に頑張り続けながら、
子ども自身にも、


頑張るのが当たり前という習慣を
身に付けさせていきたいものだと考えています。


今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎