白坂です、


無料プレゼントの受け取りはこちらから
『アウトスタンダーへの6ステップ』(P221)

 

さて、 

 

人生には、3種類の歩み方があります。
すなわち、


1.現実だけを見ながら生きて行く
2.夢だけを見ながら生きて行く
3.現実と夢の両方を観ながら生きて行く

です。


1.の現実だけを見ながら生きて行くというのは、簡単に言うと将来に過度な期待をしないということです。なぜ、期待をしないのでしょうか。


それは、期待すると裏切られるからです。せっかく期待したのに期待通りにならなかった時に、ガッカリするのが嫌だからです。


期待というのは借金の感情です。まだ何の夢実現のための努力をしていないのに、先に気持ちよく感じてしまっているわけです。借金は返済を迫られます。


だから、先に気持ち良く感じてしまった分、後でガッカリを体験させられてしまいます。後にガッカリするくらいであれば、先に期待もしない。極めて、合理的な生き方です。


・・・・・・・・・・・・・・・


2.の夢だけを見ながら生きて行くというのは、簡単に言うと
頭の中には常に理想の姿があるのだけれど、その実現に向けての行動には踏み出さないという生き方です。なぜ、行動には踏み出さないのでしょう。


それは、夢というのは夢のまま空想している時が、最も幸せだからです。


たとえば、「小説家になりたい」という夢があって、「いつか小説を書こう」と思っている時が1番幸せです。


実際に小説を書き始めるという行動に踏み出せば、思い通りに書けないという自分の才能に直面しないといけないかもしれません。


また、仮に書き上げたとしても誰にも読んでもらえないかもしれません。出版社に応募しても、どの出版社からも認めてもらえないかもしれません。


夢がかなっている自分を空想するのは楽しい。現実には直面したくない。で、夢の世界の楽しさを味わい続けるには、夢の世界の中に居続ければいい。行動しなければいい。行動しなければ厳しい現実に直面しないで済みます。


これも、極めて合理的な生き方です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


3.の現実と夢の両方を観ながら生きて行くというのは、未来に対して大きな期待を抱きながらも、厳しい現実も直視しながら生きて行くということです。


デメリットは、3つの生き方の中で1番シンドイ生き方だということです。なぜなら、未来に対して大きな期待をしているので、現実で落胆する機会も増えます。


大きな期待であればあるほど大きな落胆を味わいます。期待した分でガッカリという返済を迫られるわけです。


おまけに、現実もちゃんと観ているので、今、実際は夢がかなっていない状態もしっかりと認識できています。


夢も現実も両方観ているので、2つの世界に差がある居心地の悪さの中で生きています。その居心地の悪さが行動に繋がっています。


だから、現実と夢の両方をしっかり観ている人は、行動もします。2つの世界を両方観続けるのは居心地が悪いので、夢の世界に統一しようとします。現実と夢の差を埋めようと行動します。


行動すれば失敗します。当然です。最初から上手くできる人は誰1人いませんから。知識が足りません。技能が足りません。せっかく夢を描いて、そして、実際に行動までして、目に見える結果が全く出ない。落胆、挫折、絶望、、、


現実と夢の両方を観ながら生きるというのは、最もシンドイ生き方です。
あまりにシンドイので、どちらかの生き方に変えようとします。


すなわち、1.の現実だけを見ながら生き方に変えようとするか、もしくは、2.の夢だけを見ながら生き方に変えようとするのです。


変えたくなる気持ちも分かります。なぜなら、現実と夢の両方を常に観続けるというのは、あまりにシンドイ生き方ですから。人間の本能である楽をしたいというのに、逆らい続ける生き方ですから。


では、なぜ、現実と夢の両方を観続けるという生き方を選ぶ人がいるのでしょうか。なぜ、落胆、挫折、絶望、、、を味わいながらも、やはり、今日も1歩、また何か行動をしようとするのでしょうか。


それは、大きなネガティブの裏にそれに見合うだけの大きなポジティブがあるからではないでしょうか。大きなポジティブとは何でしょうか?


現実と夢の両方を観ながら、決して楽が出来ずに、シンドイ生き方をしている人が受け取っているポジティブとは何なのでしょうか?それは、


自身の成長に対する喜び


行動すれば失敗も増えますが、確実に成長に繋がります。人は、失敗から学びます。足りない知識、足りない技能を認識できます。


認識できたなら、その知識、技能を埋めようとします。それを埋められたら夢がかなうのではないかと思えるからです。


行動し、失敗し、足りない知識・技能を認識する。そして、その足りない知識・技能を獲得しようと努力します。で、何か新しい知識・技能を獲得した後に挑戦したらどうなるでしょうか?


もちろん、次は上手く行くかもしれません。または、上手く行かないかもしれません。なぜなら、夢を実現させるというのはパズルと同じで何か特定の1つの知識・技能だけは足りないからです。


実際は、たくさん・たくさん知識・技能を必要とします。だから1つの知識・技能を獲得できたということは、必ずしも夢実現を保証しません。また、次の知識・技能の必要性を見付けることになるかもしれません。


それでも、夢と現実の両方を観続け、行動を続け、失敗を増やし続けたならば、確実に夢のパズル完成に近付いていきます。そして、完成が近づけば近づくほどより深いピースの必要性にも気付けるようになります。


それは、知識や技能というのは必要というのが分かりやすいピースであって、夢のパズルを完成させるには、必要性が分かりにくいピースをも存在しているということに気付き始めます。知識や技能を超えた、夢実現に必要な深いピース。それは、


考え方


どれだけ表面上の知識や技能を身に付けても夢はかないません。それは、樹木で例えるならば枝や葉っぱであって、幹でもなければまして根っこでもないことにも、やがて気付き始めます。


・現実と夢の両方を観る→上手く行かない→なぜ?
・現実と夢の両方を観る→上手く行かない→なぜ?
・現実と夢の両方を観る→上手く行かない→なぜ?、、、


「どうも、根本的に『考え方』レベルから変えて行く必要があるのではないか?」


だから、表面上の夢であれば別ですが、本当の夢というのは大体描いてから10年くらいはかかります。なぜなら、過去数十年の自分の考え方を変えるというのは、そんなに簡単なことではないから、です。


過去数十年の自分の考え方を変えるというのはある意味、過去の自分の人生の全否定です。一度、自分自身が崩れます。今まで積み上げて来たものが全て崩壊します。人生においてそれほどシンドイことはありません。


しかし、真の創造は破壊の後にしかあり得ません。今までの自分に新しい自分を足すことは出来ません。今までの小さなアパートを1度、全部取り壊してからしか、新しい大きなマンションは建てられないのです。


知識や技能という表面上のパズルを埋めても、まだ夢実現というパズルが完成しない。ピースが足りない。それでも、現実と夢の両方を観続ける。


そうすると、本当に足りないピースが何なのかに気付き始めます。そして、それは、枝や葉っぱではなく、幹を超えた、根っこであることに気付きます。


だから、今まで頑張り続けた自分に崩壊を命令し、過去の記憶全てに決別し、全くなかったものとして、もう1度、自分を創り直す。根っこから植え直す。


100人の成功者がいれば100通りの成功法則があるのは、枝や葉っぱの話。根っこは同じ。100人の成功者はみな同じ根っこを持っています。


その成功者共通の根っこの存在に気付き、過去の自分の根っこを抜いた後に、もう1度、植え直す。そして、もう一度、芽を出し、幹を育て、枝を広げて行く。


そうすると、どうなるでしょうか?成功者と同じような考え方で、同じような言葉遣いで、同じような行動を取れるようになっていたら、どうなっているでしょうか?


夢がかなっています


結局、夢をかなえるという過程というのは、自分とどこまで深く・深く向き合うかということです。行動と失敗の連続の中で、それでも居心地の悪さから逃げず、夢をかなえられない未熟の自分と向き合い続ける。


そして、結局、根っこからもう1度、やり直さないといけないことに気付く。気付くのに7年の体験を必要とし、新しい自分に植え替えてもう1度育て直すのに3年の体験を必要とする。


そして、夢を描いてから10年後に、夢がかなっている。そして、また、新しい夢を描き現実との差を創り出す。


なぜなら、10年前の夢は10年前の自分が描くことが出来た最大のものであっても、10年後の自分はもっと大きな夢を描けるようになっているから。また、自らワザワザ居心地の悪い状況に身を置く。


なぜなら、生きる目的が本能の楽をすることではないから。生きている間に楽をすることを、そもそも望んでいないから。望んでいるのは楽をすることではなく


進化


世界というのはどこまでも広い。自分が体験したことがあることよりも、体験したことがないことはあまりに多い。行ったことがない場所もたくさんあって、会ったことがない人もあまりに多い。


世界には本当にいろいろな場所があって、いろいろなことが体験できて、いろいろな人と会える可能性を持っている。


生きている間にどこまで行きたいのか?どれだけのことを体験したいのか?どれだけの人と会いたいのか?夢の外にはまたもっと大きな夢が広がっていて、その大きな夢の外には、またさらに大きな夢が広がっている、、、


外の世界での結果を求める人生の旅は、実は、自分の内面の旅。行動し、体験を増やすというのは、外にある結果を一生懸命に得ようとする過程で、自分自身と向き合い続けています。


ある時は自分を知り、ある時は自分を改善し、ある時は自分を変革しようとしています。そして、改善され、変革された自分が何か行動したならば、今まで上手く行かなかったことでも、今後は上手く行くようになるのです。


夢の追求は、新しい自分に出会える旅


人は、常に選んでいます。現実だけを見ながら生きるのか。夢だけ見ながら生きるのか。または、現実と夢の両方を観ながら生きるのか。


そして、人は、常に選んでいます。どこまで世界のどこまで知りたいのかを。どれだけ体験したいのかを。どれだけの人と会いたいのかを。


世界は広いです。100年の人生で行ける場所も、体験出来ることも、会える人も、その中のホンの・ホンの・ホンの一部だけでしょう。有限でも限りなく無限に近いくらい広い。だから、夢の追求も無限。だから、自分自身の追求も無限。


そして、いつか・いつの日か子どもたちや孫たちに、夢追求のバトンを渡す日が来ます。


「お父さんは、ここまで行くことが出来た。でも、世界はとてつもなく広い。だから、その更なる外の世界はキミたちが今度は探求していく。それは、人間はどこまでも深いから、キミたちがさらに自身を深く探求していくということなのだよ」と。


人類の歴史というのは、夢追求の歴史であり人間の可能性追求の歴史


過去の先人からバトンを受け継ぎ、そして、生きている間に精一杯に走り、さらに世界と可能性を広げ、そして、次の世代にバトンを渡していく、、、


もし、求めているものが進化であれば、どれだけでも体験を増やせ、どこまでも人は成長して行ける、ということです。



最後お読みくださり、感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。


白坂慎太郎


参考教材:

お父さんから愛するキミに贈る本


無料プレゼントの受け取りはこちらから
『アウトスタンダーへの6ステップ』(P221)