白坂です、

正直に言います。
子育て・・・ナメてました。
簡単とか、何とかなると思っていました。

学習塾講師として15年間で、2000組以上の親子を見て来ていたからです。

教育に関しては、人相応以上に知識と経験がある、なんて、ちょっとうぬぼれがあったと思います。

わたしたちの塾の保護者は、学校の先生が多かったのですが、いつも言われていました。

「先生(わたしのこと)、わが子だけは別ですよ。」

その時は、そんなものかなぁ・・・と実感が湧きませんでしたが、今ならハッキリ分かります。学習塾講師としての知識、経験のあまりの無力さに、、、


2歳児は強敵過ぎる


とにかく、1秒単位で言うことが違います。

「○○してぇ~」「はい、どうぞ」「イヤ!」(1秒)
「□□してぇ~」「はい、どうぞ」「イヤ!」(1秒)
「△△してぇ~」「はい、どうぞ」「イヤ!」(1秒)

こういうことが、何十分も何時間も続くと、大人のわたしたちの方が、正直、参ってしまいます。

「親は感情的に怒らず、冷静に『しつけ』をしましょう!」

ホント、誰が言い始めたのでしょう?
こういう机上の空論を言う人は、本当に、0才~3才までのこどもと向き合い続けたことがあるのでしょうか?と、思わずグチの1つも言いたくなります。

家事もそうですが、子育ての1番大変な所は、


休みが全くない


毎日・毎日だというのが、1番、ツライところです。
まぁ、それから比べると、仕事なんて、ホント、楽勝です。
8時から17時とか、9時から18時とか時間は決まっていますし、日曜日とかは休みが取れたりしますから。

2才の娘には、「明日は日曜日だから、こそだてはお休みだからね」なんて通用しません。基本、365日、毎日です。

先日、家族3人で動物園に行きましたが、行き交うお父さん、お母さんたちを見る度に、

(みんな頑張っているんだよな…、ホント、偉いよな…)

とか思いながら、一組・一組の親子を、ただ・ただ尊敬の気持ちで眺めていました。


三つ子の魂百まで


3才までは、とにかく本人を、認め・褒め・尊重し、心の中に、高い「自己重要感」を創ってあげる、、、それがわたしたち夫婦の教育方針でした。

この方針に関しては、今でも正しかったと思っています。

ただ、来月3才というこの時期になって、次の方針が必要になって来たのも、また確かだとも感じています。それは、


しつけ


人は、決して1人で生きているわけではありません。
人という字は、人が独りで両足を広げて立っている姿の象形文字でありながら、人と人が互いに支え合っている様子も、また表しています。


個人の自由と、社会全体の福祉


この2つの矛盾に関しては、宗教や哲学が、数千年に渡ってずっと取り組み続けて来た課題、です。そして、いまだ明確な答えは得られていません。

これまでの2年11か月間、本人の「自由」を最大限尊重してあげて来たつもりです。しかし、親としての社会への責任も、また、同時に、真剣に考え始める時期に来ていると、日々、感じ始めています。


しつけとは?
・「~してはいけません」という禁止
・「~しなさい」という命令

まずは、道徳的基準ではなく、法という基準に照らして、社会のルールをこどもに伝えていく。

・優しく
・繰り返し
・伝える

親が出来るのは、繰り返し伝えるところ、まで。
実際の結果に関しては、本人が出来るようになる時期をじっと忍耐強く待ってあげる。


まさに教育の最も根幹を、子育てを通じて親の方が学んでいく


こどもは社会の宝であり、未来の希望。
ゆえに、子育ては、最も社会的に価値が高い仕事。
わたしたち家族にとっての最大の関心事であり、最大の課題。

正直、精神的にかなり鍛えられますが、しかし、その大変さの、1万倍、10万倍、100万倍もの


幸せを


わたしたちにもたらしてくれたのが娘であるのも、また事実。

・この子が笑い、
・この子がはしゃぎ、
・この子に癒されながらの

2年11か月間だっかと思うと、基本、やはり有り難いと思い、ただ・ただ「生まれて来てくれて、本当にありがとう」という気持ちが湧き上がって来ます。

わたしたちは大人と言えども未熟な人間。未熟な夫婦。日々、「この場合は、どうしたら?」を考え続けながら、出来る限りの最善を提供したいと思いながらの日々。


個人の自由と、社会全体の福祉


この難題に対して、引き続き子育てを通じて身をもって学び続けていきたいと思っています。



最後までお読みくださり、感謝しています。
ありがとうございます。

それでは、また。

白坂慎太郎


『超天職:自由なお金持ちへ』

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