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こんにちは、白坂です。
いつもありがとうございます。

『子どもへのまなざし』

【送料無料】子どもへのまなざし [ 佐々木正美 ]

妻との出会いが運命の人との出会いであったように、この本との出合いは、間違いなく運命の本との出合いでした。

情報社会

これだけ多くの情報に囲まれている中で、子育てに関しては、100人の人がいたら、100通りの考え方を持っている。もし、情報を取っていたら間違いなく、迷うし、ブレる。なので、わたしは、子育てに関しては、一切の情報を取りませんでした。ただ、この本に書いてあることを


信じて


いただけ。来月、2才になる娘:まりん。
妻が、何気にふと、

>「あなた(わたしのこと)、この1年11か月間、ただの1回も、まりんちゃんを怒らなかったね。本当に凄い・・・。」

そう、怒らなかった。ただの1回も。わたしは、娘が生まれた時に、子育てに関して、1つの掟を作っていた。


わたしと彼女(娘)、何かあったら彼女の方が正しい、と。


わたしの判断は意識という人間の判断。
彼女の判断は潜在意識という宇宙の判断。
彼女は、まだ人間界の、いや、日本人の常識に洗脳されていない。

だから、彼女が何か機嫌が悪いということがあったら、わたしは自分の頭で考えるようにしていた。

「彼女が満たして欲しい欲求は何なんだろうか・・・」と。


『自立のための徹底依存』


この一文が、わたしたち夫婦の常識を全てひっくり返してくれた。
わたしも妻も、学習塾の講師だった。だから、常識的には「自立のための教育」とか、「自立のための躾(しつけ)」とか考える。恐らく、この本に出合わなければ、わたしも、娘を怒ったり、叱ったり、躾をしたりしていただろう。しかも、かなり厳し目に。しかし、


『自立のための徹底依存』


この本は教えてくれた。
「3才までの間に、徹底的に認められ、守られ、褒められた子は、『自立』が速い。心の中に、『わたしは守られている』『わたしは愛されている』という安心感による強固な鎧が作られるから。だから、いざという時に未知の世界にも、好奇心を持って出ていくことが出来る。」と。

なので、わたしは、この1年11カ月、娘を管理しようと思わなかった。
教育しようとも思わなかった。躾けようとも思わなかった。


好き放題、やりたい放題


にやらせてあげた。
もちろん、家事・育児を全般的にやってくれているのは、わたしではなく、妻なので、正直、妻は大変だったと思う。心から感謝している。それでも、最初に決めた子育ての掟を守り、方針通り、


『自立のための徹底依存』


を貫き通している。わたしに関して言えば、娘には、感情のコントロールの史上最強の修行相手となってもらっている。「ここまでやれば、さすがに怒るでしょう?」と試されているような気がして、逆に、楽しんでいる。一番、ツラいのは、朝、起こされるとき。わが家で一番の早起きである娘は、退屈だからか、わたしたちも目覚めさせようとする。そこで、

まず、プロレス。
10キロの体重の娘は、わたしのお腹にダイビングヘッドバッドを叩きこんでくる。寝ぼけながらも、(うっ・・・)と、声が漏れる。それでも寝ていると、

次に、柔術。
娘は、わたしに馬乗りでマウントポジションを取り、自分の右手でわたしの首に体重をかけ首を絞めて来る。それでも、寝ていると、指で鼻をつままれるという反則技まで行使してくる。さすがに、息を止められると目が覚める。(わかった。わかった。起きるから・・・。)

最後に、合気道。
上半身を起こしたわたしの右手を彼女は裏返し、そのまま右手で右手を引っ張り始める。自分が連れて行って欲しい部屋へ、わたしを誘導して行く。


1年11か月間、この寝起きの瞬間が、一番の試練だった。
それでも、わたしは怒らなかった。顔では、笑顔の筋トレを続けていた。だから、彼女は生まれたままの


好奇心の塊


として、1日・1日の人生をとても楽しんでいるように見える。


わたしが学習塾の講師として、保護者から聞いた一番多かったセリフ、
それが、

>「先生、うちの子は『ヤル気』がなくて・・・」

だった。もちろん、保護者はわたしたち塾講師に対して、お金を払って下さっていたお客さまだったので、「分かりました。何とかしましょう。」とお答えしていたが、本当は、


ヤル気のない子なんか、ただの1人もいない


と思っていた。なぜなら、「もっと知りたい!」という知的好奇心は本能だから。だから、もしヤル気がない子がいるとしたら、それはそれまでの何らかの出来事の影響で、好奇心が潰されてしまったのである。


子どもたちの教育において、後からいくらでも取り戻せるものと、後からだと取り戻すのが恐ろしく大変なものがある。

簡単に取り戻せるのは、教科の学習。
小学校2年生の算数が、1年生のうちに出来ようが、3年生になってからやっと出来るようになろうが、長い人生において、全く大差がない。その子が本気になりさえすれば、ものの1か月で追い付ける程度の差。心配ゼロ。だから、学習障害児とか、LDとかいうレッテルを、安易に貼るのは、明らかにオカシイ。

逆に、取り戻すのが恐ろしく大変なのは、好奇心。
その子の心の中に、「勉強は嫌い。」「わたしは勉強はできない。」という劣等感を持っている子に対しては、どれほど素晴らしい講師が、どれほど素晴らしい教材で、どれほど素晴らしい指導方法で指導しても、全然、出来るようにならない。まさに、「わたしは勉強はできない。」という思考が現実化してしまう。


だから、わたしは娘を、管理したり、教育したり、躾(しつけ)をしようとは思わなかった。出来ることは、


彼女の無限の可能性を潰さない


ということだけ。つまり、邪魔をしない。それだけに細心の注意を払って来た。


母親が母性で優しさを、父親は父性で厳しさを?


わたしは、この常識に対しても疑問を抱いている。なぜ、両方の親が『愛』ではダメなのだろうか?厳しい現実なんて、わざわざ、親が教えてあげなくても、彼女が『自立』していけば、自然と体感できること。

そして、ルールを教えなければ、社会生活が営めないという常識にも疑問を抱いている。それは、ルールが正しいというのが大前提。ルールそのものが正しいか・どうかを疑う視点が入っていない。世界から見たら、日本のルールには、オカシナところが一杯ある。

それに、

親がたとえ教えなかったとしても、人はやってはいけないことは本能的に知っている。人を殺してはいけないとか。そんな、当たり前過ぎることは別に親が怒らなくても、教育しなくても、躾をしなくても、まず、やらない。

現に、

家では、やりたい放題、好き放題の女王のような振る舞いを見せる娘は、外に行ったら誰よりも、


空気を読む


わたしたち夫婦以外に誰かがいるとか、初めて来た場所であるとかというのは、誰よりも敏感に感じている。だから、外ではワガママをしない。逆に、みんなを癒している。


「わぁ~、まりんちゃんは、本当に感心だね」
「わぁ~、まりんちゃんは、本当に良い子だね」
「わぁ~、まりんちゃんは、本当にカワイイね」


と、ホンと、何ともお得な娘なのであるw

だから、

この1年11か月の子育てで、いつも掟を守り、方針を一貫して来たことは、正しかったと確信している。


三つ子の魂百まで


3才までに、みんなからたくさん、愛されたこと・・・
彼女が大きくなったとき、意識レベルでは覚えていないかもしれない。
でも、潜在意識レベルでは必ず、残っている。だから、3才まで徹底依存で育ってきた、わたしたちの娘は、きっと、広い世界へと『自立』していってくれると信じている。


『自立のための徹底依存』


間もなく娘が2才の誕生日を迎えるに当たって、ふと、これまでの2年間を振り返ってみたとき、やはり、運命の1冊に出合えたのは大きかった。しみじみと、そんなことを感じています。


好きなことで夢をかなえるヒント79
『子育てから学ぶ』


今回もお読みくださり、ありがとうございます。
それでは、また。

白坂慎太郎  

参考図書

子どもへのまなざし

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