大正13年生まれの友人のお父上が95歳の誕生日を迎えられた。

普通に外出し、フルコースも食され楽しく会話される事だけでも素晴らしいのに、今年に入って古代ギリシャ語の勉強を始められたと伺った。

「素晴らしい本を手に入れたんですが、私は古代ギリシャ語が読めないもので。ただ本は原文で読むのが好きなものですから。」とおっしゃる。

驚異である。

この方の物事に対する探究心を目の当たりにすると、自分など、まだまだを通り越して何もしていない気になってくる。

「これから10年くらいかけて、勉強すればものになると思うんで、そしてその次は。。。」と続けておっしゃる。

大驚異である。

意識のもちようの個人差は、年齢に関係なくこのように現れ、同じ一生を全く違うものにしてしまうのだ。



248番目の年号「令和」が始まった。

明日への希望と共に、一人一人が大きな花を咲かせるという願いで、決定された。

年号では始めて万葉集からの引用で作者は、大伴旅人「梅花の歌」。

令月=何事を行うにも良い月という意味の「令」とこれまで何度も使われた「和」との組み合わせとなっている。

 



初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭ははいごの香を薫す

 



昭和40年代頃、母はとにかく「万葉集」好き。

当時大阪大学名誉教授で万葉研究の第一人者犬養孝先生を囲んで、古(いにしえ)に想いをはせながらの歌詠み会に何故か子供ながらくっついて通っていた。

理解するというより、遠足気分、それに加え、先生が節をつけて詠む万葉の歌がとても心地よく、今でもその声はハッキリ記憶に残っている。

柿本人麻呂はファンタジックな恋愛の歌が思い出されるが、それに対し大伴旅人は、酒を詠んだ歌や後年の亡妻の事を詠んだ歌などが印象に残っていて、中々人間味溢れた人だったのかもと、勝手に想像している。

ただ記憶は相当曖昧で、探究心はまだあるつもりだが、再度勉強しなくてはと友人のお父上に再会して考えさせられた。

明日香村には、犬養万葉記念館もあるという。

また奈良に旅してみたい気もしてきた。