福井・丸岡城 現存天守と大蛇と人柱
水戸散歩レポの途中ですが。
行って参りました、2泊3日福井の旅。
こちらのレポを先にあげたいと思います
福井へ東京から行くには新幹線ですと、東海道新幹線で米原または名古屋まで出て特急に乗り換えるコースと。
北陸新幹線で金沢まで出て特急に乗り換えるコースがあります。
2023年には北陸新幹線が福井にもつながるらしいですが、現在はまだ乗り換えないと辿りつけない場所なんですねぇ。
とりあえずどちらのコースだとしても乗り換えなきゃならないんだったら、と。
私は今回は飛行機で行きました
福井空港というのがあったのでそこかと思ったのですが、福井空港は旅客機の乗り入れはしていない空港だそうで。
最寄りは小松空港でした。
平日の朝一の便だったためか、席はガラガラでした
小松空港から55分ほどで福井駅へ。
そしてそこからさらにバスに乗りまして、約40分程度で辿りつきました。
まぁ天気がよくて気持ちのいいこと
今回の旅はお天気に恵まれてよかったです。
丸岡城。
別名、霞ヶ城。
現存12天守のひとつです。
織田信長が一向一揆平定のため、丸岡城の東方約4kmの山中にあった豊原寺を攻略。
柴田勝家の甥・柴田勝豊が豊原城を構えましたが、のちの天正4年(1576年)に豊原から丸岡に移り、築城したのが現在の丸岡城とのこと。
版籍奉還後に廃城となり、天守閣は買い戻され解体を免れますが、屋敷や門は売り払われ、堀も埋め立てられました。
さらに、昭和23年(1948年)の福井大地震で天守閣が倒壊。
のち昭和30年(1955年)に元の用材80%を組み直して利用し、修理復元されました。
犬山城と並んで、最古の天守閣といわれているそうな。
天守閣の中にも入れます
そうそう、丸岡城の階段なんですが。
メッチャ急角度
いろんなお城見てきましたが、今までで一番急な気がします・・・。
こちらにいたっては、降り口にスペースがほぼ無いという・・・。
申し訳程度にロープがついていますが。
「落ちて怪我しても知らんよ、自己責任で上がってね(意訳)」という注意書があります・・・。
こちら天守閣最上階。
天守閣からの眺め。
山が遠くに見えてイイ景色です
丸岡城模型。
お堀もしっかりあって、なかなかの造りだったんですねぇ。
こちらの井戸には大蛇が棲んでいたそうな。
豊原は一向一揆の最後の根拠地だったため、丸岡城築城後も残党が攻撃を仕掛けてくることがしばしばあったとか。
しかしその度にこの井戸から大蛇があらわれて城に“かすみ”をかけて城の危機を救ったという伝説があるそうな。
この話が別名「霞ヶ城」と呼ばれる所以であり、現在も春先などにすっぽりと“かすみ”に覆われるのを見ることができるそうですよ
石垣、イイネ!
こちらは築城の際、人柱になったお静さんの慰霊碑。
天守の石垣が何度積んでも崩れてしまうため、人柱を入れることになり、選ばれたのが2人の子をかかえて苦しい暮らしをしていた片目のお静さんでした。
お静さんは片方の子を侍に取り立ててもらうことを約束してもらい人柱になりますが、城主だった勝豊は他の場所に移封になり、約束は果たされませんでした。
毎年、年に一度の藻刈りの時期に春雨で堀に水が溢れ、それを人々は「お静の涙雨」と呼び、小さな墓を立てて霊を慰めたのだそうです。
こちらは石製の鯱。
丸岡城の鯱は、元は木彫銅版張りでしたが、昭和15年~17年の修理の際に当時は戦争中で銅版の入手が困難だったため石で造られたのだそうです。
この石製の鯱も福井大地震で落下。
現在の鯱は元の木彫銅版張りで造られているそうですよ。
こちらは歴史民俗資料館。
丸岡城主ゆかりの品や、資料などを見ることができます。
丸岡城はこちら。
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