前日、「目に見えないおかげさま」ということで書きました。そこでは食事の際の「いただきます」、「ごちそうさま」について考えました。

その後、蓮如上人がよく言われた「仏法領の物」という言葉が思い起こされました。

 

詳しいことは言いませんが、蓮如上人は廊下に落ちていた紙切れも「仏法領のもの」と無駄にしなかったのです。500年以上前紙でも大変貴重だったでしょう。

 

現在でもある法座で、ご年配の女性が、薄っぺらい紙切れの束に筆記していました。今の時代ノートやメモ用紙などたくさん市販されていますね。その方に聞いてみたら、印刷業を営んでいて、裁断の切れ端で捨ててしまうような紙がたくさん出るそうです。それを無駄にしたくない。

 

その話を聞いて仏法領のものということを思い出したことがありました。

 

さて、私たちが手にしているスマホ。もしかしたらこの記事もスマホで読んでいるかもしれませんね。先日、ご門徒さんの研修で、一緒に本山に行ったら、スマホで写真を撮っていました。京都の東本願寺も写真撮影は儀式以外可能になりました。教導の話を聞いて写真を撮る。単なる趣味でしょうか? 恐らく記念ということもあるかもしれませんが、先人たちの歴史と思いに触れ、「感動した」と言って帰宅して家族知人に見せることでしょう。

 

それってもしかしたらスマホも「仏法領のもの」ですね。

 

さて食事ですが、蓮如上人のことばに「御膳、まいり候うときには、御合掌ありて、「如来・聖人の御用にて、き、くうよ」と仰せられ候う」。と伝わっています。

阿弥陀如来と親鸞聖人のはたらきかけのもとで、着物を着て、食事するんですよ。

 

合掌して、着物を着て、お食事をいただく。その姿に、何気ない日常に尊いことがあるのだよ、と教えられます。その尊いことは何ですか?

着物を着て食事をいただいて生きる。それはただ寿命を延ばすだけでなく、「目に見えないおかげさま」に気づかせてもらい、「この私のような人生にも意味があるんですよ」。「尊い機会なんですよ」。そんなメッセージが聞こえてきます。