僧侶として、仏祖崇敬、報恩謝徳を表すのに、お朝事や報恩講はじめ永代経法要、彼岸、お盆などの法要があり。またご門徒のご葬儀、法要などを勤めます。

 

その儀式で必要になることが声明作法、荘厳作法、装束作法などがあり、声明の研鑽ではそれらを総合的に勉強します。

私は平成9年から平成16年にかけて東京台東区にある法善寺で開設されている東京大谷声明学園に通いました。当時住職であられた中山静麿先生、副住職であられた中山秀成先生を中心に東京大谷声明会の先生方が9月から7月末までの毎週木曜日の夜2時間にわたりご指導されていました。

法善寺さまや東京大谷声明会は大谷派から離脱され浅草の東本願寺に所属されていましたが、その学園には浅草の東本願寺の末寺の僧籍者だけでなく、大谷派の僧侶、そして声明に関心のある一般の方々も一緒に学んでいました。

 

当時私は千葉県の寺に随身しており7年間学ぶことができましたが、三重県の寺に入寺してからは、1度ご挨拶にお邪魔して以来お会いできませんでした。

 

中山静麿師は2015年にお浄土に帰られ、この度秀成師が2020年にお浄土に帰られたことが知らされました。

 

静麿師は声明学園の最初の2年間、秀成師には最後の5年間お世話になりました。静麿師は張りのある声に強さと共に柔らかみを含んだ声明。秀成師は大きなお堂も小さく感じられるような、太く力強くよく響く声明でした。もう2度とあの素晴らしい声が聞けないかと思うと寂しく感じます。そして7年間学んだにしては未だに未熟で師に近づくこともできない不勉強を恥ずかしく感じます。

 

これからは恩師が常々教えてくださった、「六を聞いて四を出せ」(声明は6割調声人や周りの声を聞くことを心がけ、100%声を出すことに集中するな)。「稽古は儀式のように、儀式は稽古のように」(稽古は本番の儀式のように緊張感を失うな、儀式は稽古のように自分の癖を出したりしない、気を抜くな)。との教えを忘れることなく。いつも師が見ている気持ちを忘れないように勤めて参りたいと思います。

 

南無阿弥陀仏