7月の法語


生と死、生まれたからには必ず死ぬ。これは道理であります。そんなことは誰でも分かるといいます。
しかし、理解しているはずの道理も、身をもって分かることは難しい。
生と死、自分のこととなるとこれを対立だと考えてしまう。生は願わしいこと、老病死は厭うべきことだという観念に縛られています。

そういう観念に囚われる以前の人間の純粋さに立てば、例えば禅家で無相大師の「わが這裏に生死なし」との一喝となるのでしょう。

浄土門では浄土という個人を超えたいのちの場、いのちの故郷を憶念することで矛盾対立という観念を超えてゆくのでありましょう。

念仏に生きられた先生方は初事ととして本当の自分に出会った喜びを表しました。浄土を念ずれば生死、男女、経験、肩書、血筋に囚われることなくあらゆる人と、また自分と出会えるのでしょう。