7月19日

6月にNHKのブラタモリでは「銚子」と「ちばらぎ」をとり上げていました。

東京からは手頃な距離であり、有給を一日取って、千葉と茨城あたりを廻ってきました。

 

銚子編のテーマは「銚子はなぜ日本一の漁港になった!?」

まずは銚子漁港に向かいます。

昼過ぎだったけど、1艘だけ魚の水揚げをしていたので覗いてきました。

さんまかな?あじかな?よくわかりませんでしたが、大きな網でトラックに積み替えていました。

 

朝方であればもう少したくさんの船が並ぶはずだけど、夕方近くなので割と閑散としていました。

 

なんと銚子漁港は水揚げ量がダントツで日本一でした。

 

次に向かったのは犬吠埼

 

犬吠といえば、この灯台。

明治7年に「日本の三大難所」とされた銚子の海難事故を防ぐために設置されました。

 

銚子は右端の尖がった部分に位置しますが、

地形から銚子が日本一の理由を探っていきます。

 

銚子には1億2千年前の地層があります。

 

12万年前の古東京湾はこんな感じ。

何と、銚子は島でした。

それが、左側の陸地にある川から土砂が流されてきて、徐々に古東京湾が陸地になっていきます。

また、合わせて、古東京湾の地盤が隆起していき、島が陸地と繋がっていきました。

 

 

 

銚子の尖がりで東に向きを変えた黒潮は栄養豊かな親潮と交わり、

さらに利根川からも栄養豊かな水が注がれ、

銚子の沖合は絶好の漁場となっていきました。

 

次に向かったのは外川という銚子電鉄の終着駅です。

ここにも漁港がありますが、じつはここが銚子で最初に漁港がつくられた場所。

江戸時代に、豊かな漁場を求めてなんと和歌山(紀州)のひとが移住して作った町。

漁港からは何本もの道が台地に向かってのびています。

 

かなりの坂道です。

漁港で水揚げされた魚を台地へ荷車で登っていったそうですが、何のため?

 

「干鰯」ほしかのためでした。

 

干鰯は江戸時代の最高級の肥料で、「金肥」と呼ばれ、非常に高値で売れました。

ただ、干鰯づくりには広い場所と乾燥させるための砂が必要でしたが、

ここ外川の台地にはそれがあった。

そして、外川は発展を遂げていきました。