資産形成の仕方」を、次回に、と書いておきながら、

忙しさにかまけて、そのままにしていた。

もちろん、その方が、競争相手が増えずに済むわけだから、

それはそれでも良いのだが、言った手前、少し、格好は悪い。

 

ということで、少しづつ、書き綴ってゆこうと思う。

 

1. 「日本経済新聞と会社四季報を読みこなせること」

   今はどうか知らないが、昔、「日経新聞の読み方」「会社四季報の読み方」なる本が

   出版されていた。これらを、十分に読みこなせるようになって、

   学校教育で言えば、「幼稚園」レベルに到達したといえよう。

 

   「読みこなせる」とは、いかなるレベルのことをいうのか?

   会社四季報で言えば、掲載されている一つの会社を、1分以内で、自分の分析手法

   で、分析できること、位に定義できよう。

 

   「会社四季報の読み方」では、当然のことながら、その読み方が、

   書かれているのだが、それに加えて、自分独自の分析手法を確立して

   いなくてはならない。貴方独自の分析手法は、貴方自身で獲得するしかない。

 

   貴方の両親が、どんなに立派で、金持ちで、頭がよかろうと、

   譲ってもらうことは不可能である。

 

   「甘えの構造」なる本が、昔、ベストセラーになったことがあったが、

   誰にも、甘えられない世界なのだ。

 

   上記の本を読んで、自分独自の分析手法を確立したとしても、

   幼稚園レベルなのだ。

 

   この記事を読んでおられる人の中に、果たしてどれだけ、

   自分独自の分析手法を確立して、自由自在に、日本経済新聞と会社四季報を

   読んでおられる方がいるものか?

   そして、それでも、幼稚園レベルと、私の経験から申し上げている。

 

   それらを読みこなせないし、読んだ事もない、ましてや、自分独自の分析手法

   などないが、投資して、儲かっているよ、と言う方がおられるかもしれない。

   

   しかし、それは、競馬新聞の読み方を知らないで、あてずっぽうで馬券を買って、

   当たった、というに等しい。

   

   自分独自の分析手法を確立して、幼稚園レベルに達するまでに、

   果たしてどの位の時間が、必要だろうか?

 

   次回は、「どのくらいの時間が必要か?」について、記述しよう。

   

 

 

厚生省のエリート官僚や怪しげな資金運用のスペッシャリストが、

払い込まれた年金を運用して、支給可能な年金基金に増額させることが、

「絶対に不可能」な理由。

① そもそも、年金制度が、巷で問題になること自体、自らその能力の限界を

   自認していることに他ならない。

② エリート官僚や怪しげな資金運用のスペッシャリストが、本当に儲けられるのなら、

   他人のためよりも、自分のために運用しているだろう。

   自分のために運用しても、損するか、たいして儲からないから、他人のためにと称して、

   他人の財産を運用して、手数料稼ぎをしているのだ。

   このことは、従来の対面型営業スタイルの証券会社にも、いえる。

③  20歳から60歳までの間に起こる様々な出来事には、不確定要素が多すぎる。

   40年の間に、国内の金融不動産バブルは何回あったか?  不況は何回あったか。

   石油危機は何回あったか?   為替レートの急変は何回あったか?

   商慣行の変化はどれだけあったか?  金利ゼロ時代を予測できたか?

   40年前に無くて今あるもの(電卓・パソコン・インターネット・車社会・大規模スーパー・

   携帯、スマホ・等々)

   これらの変化の波に乗り、常に、資金運用をプラスに持ってゆくことが可能なのか?

④ 資金運用して、儲かる人の数は、恐らく、

   品質管理で用いられる手法の一つの、ヒストグラムのような値になるのではないかと推測する。極少数の人が大損して、大多数の人が、少しだけ儲けたり損をしたりして、ごく少数の人が、大儲けして、・・・・・・

   大儲けした人は、寡黙になり、大多数の人は、儲けたり損をしたりしたときの話を吹聴し、

   大損した人は、黙って市場から退散し、

   誰が儲かろうが損しようが、証券会社は儲かって、更に、宣伝して顧客をあおりまくる。

   エリート官僚や怪しげな資金運用のスペッシャリストが、少数の大儲けしたした人の中に含まれるという保証は、どこにもない。

⑤ 株式で大儲けした、是川銀蔵の言葉「人のゆく、裏に道あり、花の山」

   大勢の人が通らないような道を歩む人でなければ、花の山には、たどり着けないのである。大勢の人と金が、大勢の人のために、大儲けとまではゆかなくても、確実に一定の利益をコンスタントに挙げることなど、不可能であろう。国債で運用すればよかった時代など遠い昔の話。少子高齢化を大合唱すれど、夏のカエルの鳴き声のように、うるさいだけで、何事もなく時間だけが過ぎてゆく。

 

要は、「年金をあてにするな」ということなのだ。

令和元年、6月4日の某新聞に、金融庁の金融審議会は、年金制度の限界を認め、

個人が、計画的な資産形成をするよう促す、という報告書をまとめた、とあった。

 

当ブログ主は、20台初めごろ、生まれて初めて、年金の掛け金を払いこめ、という通知を受け取った時に、この報告書にある通りのことを感じ取り、かつ、実践してきた。

 

この報告書では、次のようにも言っている。「少子高齢化による公的年金制度の限界を政府自ら認めたうえで、個人の投資等による資産形成で、年金の不足分を補え、」と。

この某新聞は、「ただし、元本割れのリスクもあるから、金融商品の慎重な選別が必要になる」と、読者のために、注釈をつけている。

 

しかし、残念なことに、それもまた、「無理な話」なのだ。

この某新聞は、読者のために、親切心で言っているのだろうが、

投資をする以上、儲かる人は、「大勢の人」ではなく、「少数の人」なのだ。

 

競馬と同じことなのだ。オッズが低いときに勝っても、比較的大勢の人が勝ったかもしれないが、リターンは少ない。オッズが高い時ならばリターンは多いが、勝った人は、少数にとどまる。

 

無理筋と知りつつ、金融庁の金融審議会は、「年金で不足する分は、投資で補え」と言っているのである。投資は自己責任であるから、損しても、金融庁の金融審議会に文句は言えないし、儲けた時には、「ほら、俺の言った通りだろう」と、金融庁の金融審議会は、胸を張れる。

 

かといって、金融庁の金融審議会を、無責任だと、避難する気も、さらさらない。

当ブログ主自身が、金融庁の金融審議会の報告書の通りのことを、40年以上も前から、

実践してきているからである。そして、幸運にも、少数の「儲かっているグループ」の中にいると思われるからである。

 

では、大多数の人が、十分な資産形成をすることが困難だとしたら、どうすればよいのか?

答えはない、と言わざるを得ない。

 

税方式にすれば、表面上は、数字上の体裁は繕えるが、それは、社会主義国家にほかならず、努力しない人間を大量に作り出し、人間の心を荒廃させてしまう。支那・朝鮮・旧ソビエト・等を見よ。努力して、新しい価値を創造させる自由・資本主義でなくては、唯物主義の負のスパイラルに陥ってしまう。旧社会主義国家が、自由・資本主義国家もどき国家になっても、

荒廃した国民の心に、真の自由・資本主義的価値観を植え付けるのには、かなりの長い年月を必要とすることだろう。日本は、そうなってはいけない。

税方式は、年金という名前の生活保護給付金方式と、同義語である。

 

次回は、「資産形成の仕方」について、書くことにしよう。

但し、あくまで、資産形成・成功組は、少数組でもある、という冷厳な真実を前提としている。

「年金制度」の破綻   ・・・・・・・その①   

実存主義の観点からすると、物事の肝心な部分が、ストレートに見えてくるようになる。

 

今から約40年前、大学を卒業すると同時に、「年金を払え」なる通知書が、区役所から送られてきた。細かな数字は、遥か忘却の彼方にあるが、当時、「年金制度」なるものは、

いずれ破綻する、と思っていた。

 

物価上昇率や景気の良し悪し等を捨省(注:創作語)して考えれば、

当時から、年金制度がいずれ破綻するのは、自明の理であった。

 

当時も今も、破綻する理由は同じである。

物事を単純化して考えれば、分かりやすい。

20歳から60歳まで、毎月2万円、厚生年金掛け金を天引きされたと仮定しよう。

会社負担分の2万円と合わせて、毎月4万円が、払い込まれていることになる。

4万円×12ヶ月×40年=,1920万円        が、定年退職までに払い込まれた

厚生年金掛け金の総額である。(便宜上、ボーナスは省略する。)

 

仮に、65歳から85歳の死亡時まで、毎月20万円の年金を受給できると仮定した場合、

20万×12ヶ月×20年=4,800万円     となる。

 

払い込まれた1,920万円を運用して、4,800万円に、いったい誰がしてくれるのか?

昔なら、厚生省、今なら、厚生省から委託を受けた公的財団らしき団体。

 

厚生省のエリート官僚や怪しげな資金運用のスペッシャリストに、

果たして、できるのか?・・・・・・・・「絶対に不可能

というのが、当時の結論であり、今も、変わっていない。

 

その理由は、次回に譲ります。