最近始まった義父の介護生活は、恵まれている方だと思う。のは、


13年前の実父を介護したときのことを思い出すとそう思う。


 実父は、パーキンソン病でおまけに認知症。


 パーキンソン病が進んでいて、薬を飲んだ数時間は歩いて動けるのだが、薬がきれると、身体が固まったように動けなくなる。ぱたりと。


だから、動けるときは、うれしくてあちこち動き回り、「もうすぐ動けなくなるから座って」と言っても聞かないので、その場でへなへなと座り込んで、床に横になってしまって固まる。


それを立たせて、車椅子に座らせる苦労と言ったらなかった。


 そんなだったから、今で言う発達障害ではないかと思われる臨機応変が苦手な母が、1人で介護していて、父が動けなくなると、救急車を呼びまくっていたので、名古屋市の緊急時医療のためにも一人っ子の私が、買って出て、実父を引き取った。


 仕事も辞め、さあ来い!と始めたが、その生活の激変ぶりにまいった。


 自分の1日は、父の生活リズムとともにある。


朝、6時前後に父起床。

私は2階、父は1階で寝ている。


目覚めると、「おーい、おーい」と呼ぶ。

ああ、1日が始まるなとぐずぐずしてしまう。

(その前に起きてスタンバイすればいいものをできない)

そのうち、何をどうしているのか、どこにそんな力があるのか、どんどんしだす。


今思えば、それはそうだ。濡れているぐちゃぐちゃのオムツを早く替えてほしいのだ。


オムツを脱がせ、ベッドの隣のポータブルトイレに座らせ、着替えをさせる。 


そこで、愕然としたのが、認知症というのは、服の着かたも忘れるのだ。セーターを頭に被せてやると、それからどうしていいのかわからず、被ったまま、もがいていたのには驚いた。


 着替えがすむと、車椅子に移動させ、朝食、その後、デイサービスがある日は、9時に送り出しやれやれ、つかの間の休息、16時に迎え、しばらくして夕食。洗面器を持って、歯を磨かせ、ベッドに連れていき、寝かせるのが、20時過ぎ。これでやっと、私のフリータイムと思える時間がやってくる。という毎日だった。


助かったのは、夜は薬の加減で、動かないので、じっとしている。これで、徘徊されたら地獄だなと思う。


でも、そういう方もいらっしゃるだろう。その後、知り合いで認知症の方を自宅で介護していると知ると、つい連絡してしまう。今、どんな思いをされ、どうしているだろうと思うと、いてもたってもいられなくなる。


そんなだった。

先のない不安、いつも、夢想していた。

高いところからふらっと落ちる自分。

楽になるかな。

でも、父を残してはいけないなという、かろうじて残る責任感が、それを止める。


そんなだったが

引き取ってから8ヶ月後に、父はあっけなく、誤嚥性肺炎で亡くなった。


もっと優しくしてやればよかったなどと、きれいごと。


出来なかった。今もできないだろう。自分の生活を否応なしに変えられ、好きなことができない状態に、どうしても、させられたとしか思えなかった。


状況的に、ケアマネさん、ディサービスの

スタッフも明るく親切。家族も積極的に手伝ってはくれぬが、好意的ではあった。

孤独ではないはず。


でも孤独だった。


なぜ?


社会的に孤独だったのだ。


楽しいことはあちら側。

ポーンとその外に放り出されたような。


それは、楽なはずの今の介護生活でも感じざるおえない。


やっぱり、ときどき、大声をあげて泣き出したくなる。


社会においてけぼり。


孤独なのだ。


今の暮らしについては、また綴ります。